コンピュータは人間を越えるか part2
これは 昨日の日記
の続きです。
コンピュータは人間を越えるかを問い、それに回答するにはどうすればいいか を考えました。わたしは以下のようにすればその全てでなくても一面に回答で きるのではないかと考えました。 OL - コンピュータは計算機である - 計算機とは計算のみを行なう機械である - コンピュータが人間を越えるとは計算のみにより越える事である - 計算のみで越えるには人間の思考(または理解など)が計算のみにより成立していれば良い /OL コンピュータが人間が保持するとされる計算量を越える日は確実にきます。よっ て、人間の思考が計算のみによって成立しているならば、コンピュータは人間 を越える日がくるという事です。
しかし人間の思考が計算によって成立していないならば、少なくとも計算のみ では越えられない事になります。
上記に反論はあるでしょうか?
もし上記が論理的に反駁できないのであれば、コンピュータが人間を越えるか を問いそれに回答するには人間の思考とは計算のみによっているのか否かを問 えば良い事になります。
では人間の思考とは何でしょう?
わたしの思考の限界はわたしの言語の限界です。そしてわたしの言語の限界が わたしの思考の限界です。なぜならわたしがわたしの言語にできない物は思考 として成立しえないからです。
ここで言う「わたしの言語」とはわたしが表現する言語その物、わたしの認識 その物を指し普通に利用する言語よりやや広い概念で利用している事を断わっ ておきます。
ここで言語化できない思考がある、と言う反論をした場合、すなわちそれはコ ンピュータは人間を越えられないと言明したのと同じ事になります。
コンピュータは計算機です。計算には公式が必要です。公式とは言語の一部で す。それは数学の言語です。
言語化できない思考があるなら公式化できない思考があるという事であり、そ れは計算できない事になります。であればコンピュータにはその思考が不可能 だという事になります。
この場合コンピュータは人を越えられない。
そもそも言語化できない思考とはなんでしょうか?それは思考なのですか?あ らゆる思考は言語であるという事をここでは前提とします。
実際はこの前提を確立するにはひどく長い思考が必要なのでここでは割愛します。
すくなくともコンピュータが人を越える可能性を考えるなら思考は言語でなけ ればならないのです。
ここで言語とはいかなる物かを思考する下準備がととのいます。
続きは明日