コンピュータは人間を越えるか
これは大変に難しい問題です。その底にはさらに根源的な問いが存在します。
まずこの問いに回答するために前提を確かめる必要があります。コンピュータ とはすなわち計算機であり、計算しかできない物です。あらゆる事を計算によ り起こなう機械、それがコンピュータです。これを前提とします。
では人間を越えるとはどういう事でしょうか。人間の思考は計算によって行な われている、とする立場があります。これを計算主義といいます。
計算主義に立つと人間の脳の計算速度は2 * 10^16 cpsであるという算出があります。 (詳細は次を参照の事 http://www.kurzweilai.net/articles/art0134.html?printable=1 )
いずれ計算機の計算速度が2 * 10^16 cpsを越える事は確実です。(ちなみに地 球シミュレータは35.86TFLOPSなので35.86 * 10^13 cps)
ではその時コンピュータは人間を越えた状態になるのでしょうか?
わたしは計算主義者ではありません、この場合否と回答する事になります。た だ否では論理的回答ではありません。そもそもなぜわたしが計算主義者でない かを論理的に説明する必要があるでしょう。
わたしは単に計算主義を否定する立場としてこの結論に達っしたわけではあり ませんし、また感情的な物でもありません。
このわたしの世界像はウィトゲンシュタイン、チューリング、ゲーデルらの哲 学および数学的理論という論理的な物と、わたしの信仰という非論理的な物の 影響下にあります。
もしあなたがウィトゲンシュタインと同じ問題に関して思考した事があるなら 結論は似た物なるかもしれません。
まず計算主義がなぜ問題なのか、という問いがあります。
計算主義に立つと、法律や論理つまり言語は計算によりみちびかれた事になり ます。論理が計算で算出可能であるなら、それは正しさが計算で算出される事 になります。
さて我々の法律は、計算により算出されたのでしょうか。
これでは批判にならないというならばそうかもしれません。さらに先を思考す る必要があります。
論理とはどのように成立するのか、という事です。それは言語の問題でもあり ます。これは心理学の問題ではありません。ひどく論理的な問題です。
さらに追及してみなければなりません。人間が人間であるとはどのような事に よるのか。
今日は時間がありません。この続きはまた明日継続して考えたいと思います。
以下はゲストコメント可能です。名前とメールアドレスは任意の物を入力していただいてかまいません。 blog comments powered by Disqus