関係と構造
関係と構造は異なります。構造というのは構築された物を指します。いわゆる 橋に対する橋梁と言うべき物が想定されています。構造を見るというのは橋は 橋梁によって規定されているので橋梁の構造を見る事で判別できる、それも各 種橋の橋梁を比較すれば一つの橋の特徴を明確に定義できるという物です。
この見方は人工物等の非自然な物を見るにはたしかに有効ですがプラトニズム にすぎると思います。
プラトニズムは論理や真理といった物は自然的な物とは別個に存在する、とい う事を基本とする態度です。この態度は科学研究態度として一定の評価は受け られる物ですが、本当の自然を知るには無力な場合があります。
いかに構造が把握できても真実がわからないと人間が感じるからです。それは 橋の美しさの本当の所はその構造のみで成立するわけではないからです。たし かに構造である程度の美を規定する事は可能ですが、それで全てではありませ ん。なぜなら美を規定するのは人間だからです。
構造を美としたとしても永遠不変にそれが美なわけではありませんし、絶対の 美でもありません。
もっと複雑な物のように思います。しかしその複雑な物をどう語れば適切に語 る事が可能なのか、が課題です。
関係の記述には関係を直接記述してはならないのかもしれない。
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