関係の爆発
という書籍がありますが実際に時代によって人格障害が多いという事があるの でしょうか。そもそも人格障害とは何を視点としているのでしょうか。
わたしは物事を見る時あまり心理学的な見方をしないように努力します。でき るだけ論理的な見方をします。心理学的見方というのは、それは人の心理によっ て物事が発生しているという心理中心的な物の見方です。わたしは世の中は心 理で発生する事もありますが、その心理その物がなんらかの論理の上に立って 発生していると見るようにしています。
まず時代によって人格障害が増加したりするかと言えば、そうではないでしょ う。近年人格障害に関する臨床的検査方式が確立されて来たため人格障害の診 断を行なえるようになっていますが、別に時代だからというわけではないよう に思います。
時代によって人格障害が多いと言うなら、幕末から明治維新、第二次世界大戦 後などだって人格障害は多かったのです。
わたしは時代によって人格障害が増えるというよりも、関係が急激に変化する 時にそれが単に顕在化しやすいというだけに思えます。
あまり人間が移動しなかった時代、閉塞した地域で生活していると、人は習慣 からある一定の規則を形成し、それに自然に従いました。なぜならその方が地 域社会で生きていくのが楽になるからです。ある程度人数が固定され、風土も 固定されている場合、その規則は一定の方向に比較的急速に収束する事が知ら れています。人は関係の流動は無駄を発生されるため避けられたのです。
地域には暗黙の規則、そこに生活していれば誰しも当然の規則が形成されて行 くのが普通でした。その中から外部からの流入者を拒否する雰囲気が形成され たりしました。
しかし、規則が固定化されすぎるとまた問題が発生したようです。これは関係 の流動がない事から生じる地域の発展の阻害です。この障害を除去するために 蛭子信仰や外来神信仰があり、時に積極的に外部から財を招く事をしました。
注目すべき点は関係が流動しない限り、暗黙の規則が異常に見える事はほとん どないと言う事です。また産まれた時からその暗黙の規則に従ずには地域で生 活が不能なため、ほぼ必ず暗黙の規則をごく小さい頃に覚える物でした。
しかし、現在はそのような暗黙の規則が形成されずらい時代になっています。 情報が流動する事により否応もなく関係が形成されるからです。関係の制御が 主体的にできなくなっています。
これが関係の爆発です。
関係が爆発すると何が規則かを学べる機会が減ります。それは多様性の時代と 見える場合もありますが、元より人は多様なのであって、今に多様性がはじまっ たわけではありません。たんに多様な物との関係をあまりに容易に構築できる ようになった、それも制御できない、という部分に問題があるように思います。
人格の障害と見える人も規則が明確であればそれに従えるのです。人は規則が あればそこからはずれるのを恐れる物です。
暗黙の規則が学べない場合、その規則がない。従うべき規則がない場合、自分 の自然感情に従う事になりますが「感情」という物に慣れていない人間が結構 いるというのも問題です。感情もまた関係の中で学ぶ物だからです。
現在の問題は緊密な関係の構築の不可能性と、疎遠すぎる関係を制御できない 事に問題がある、とわたしは思います。
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