< 2004年12月 >
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関係

空気とわたしとの関係、世界とわたしとの関係、わたしと他者との関係は論理 的に違う所は何か、また同じ所は何か。

関係

わたしと他者との関係は変化する。他者は常に変化しているし、わたしも常に 変化している。わたしと他者に同時に起こる変化は両者の関係を変化させる。

時には今の関係が永遠不変であるように思われる時もあるがそれは非論理的な のだ。しかしその永遠不変を信じたくなる。

わたしと空気の関係は変化する。空気は変化していないように感じる事もある が、日々その成分は微妙に変化している。

時には今の関係が永遠不変であるように思われる時もあるがそれは非論理的な のだ。しかしその永遠不変を信じたくなる。

上記よりわたしと世界の関係も変化していると考えるのが論理的なのではない か。しかしわたしはこれの答えを躊躇し動揺を隠せない。

今の関係が永遠不変であるように思われるからだ。

もし世界の変化を認めても、世界を支える梁は変化しないのではないかと信じ たくなる。

しかし、その梁を支える梁はあるのか?その梁は不変かと論理的に思考すると それは不変でないと回答する事になる。

わたしは今、地動説を教える話という逸話を思いだしている。

先生「地球は太陽の周りをまわっているのです。地球は動いています。宇宙に ただよっているのです」

生徒「違います。世界は亀の上に載っているのです」

先生「その亀は何の上に載っているのです?」

生徒「当然亀の上です」

先生「(勝ち誇ったように)ではその亀は何の上にのっているのです?」

生徒「違います。その下もその下もずーーと亀なのです」

わたしは無限論に関して考えなければならないのか。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
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