思考課題
本当は思考よりも実践の方が先の方が良いのだが、わたしはそうもいかないよ うだ。
- 命名する力
- 極大な言語
- 「皆」を見出す
- ルールのみからルールが作成できるのか
- 関係にはまだ人が知らない問題が存在するがそれをどう記述するか
- 精神論なんて無意味
- 関係を円滑にするには関係を考えない事
実践があれば言葉なんて不要なんでしょうが。
断片メモ
生きるとは生きる事の練習であり生きる事その物である。
実践から言葉への飛躍は大きい。また言葉から実践への飛躍は大きい。
生きるとは信仰その物であり、祈りである。
生きる事を信仰としなければいけないほど生き難いとも言える。
哲学もしくは宗教などにより真実を追い求める人には欠陥がある。その欠陥の ために真実を求める。その欠陥のために真実に近づく事はあっても真実を生き る事ができない。
哲学や宗教を必要としない人は真実を生きている。よって真実を求める事はな い。そのため真実は記述される事はない。
よって永遠に真実は記述されない。
真実を求める姿は鳥のように飛びたいと望むのに似ている。もし鳥のように飛 べているなら、そうは望まないであろうように似ている。
哲学や宗教に関して語る場合の基本ルール
- 周辺解説書を幅広く偏りなく読む
- 著者の原書もしくは原書の翻訳を読む
- 自分の言葉で表現するように勤める
- そのままでの引用や解説はしない
命名する力と極大の言語
極大もしくは最強の言語という概念が言語学方面にはあります。極大言語とい うのは全てをそれで記述可能な言語の事です。
まずは現状の言語が極大言語でないか、という問いであれば、極大言語でしょ うね。もし今の言語から極大言語が作成可能なら今の言語はすでに極大言語で すし。作成できないなら、人間は言語でこんな複雑な事できてません。
人は昔から極大な言語が自分達の言語とは別にあると考えて来た節があります。 それは魔法使いが呪文を唱えると魔法が発動したり、言葉で呪ったり、祝った り。そのだいたいが外国語だったり失なわれたとされる言語だったりする事で もわかります。
ただ、発音できて意味理解できるって時点でそれは自分達の言語なんです。
appleがリンゴって意味っていうのではなくappleはapple。これは英語ですが、 それを正しく利用できるという事で自分の言語です。「わたしの言語」です。
極大言語である証明は命名する力によっても可能です。人間の言語はあらゆる 事に命名する事が可能です。
たとえば言語化できないある思考に「B」という名前を与える事もできます。意 味不明の事にとりあえず「意味不明のJ」と名前を付与できます。
また名前だけでなく感嘆符の付与など対象に対してあらゆる操作が可能です。
わたしは人間は極大言語を得たから思考を得たという説を取る事にします。
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