< 2005年01月 >
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日記布教

本日は会社の営業報告会なる物があった。そこで日記を書く事を布教してみた。

営業報告会で日記書きの布教ってのはあまり意味なさげだけど、まあ1分間スピー チと思ってください。

なぜ日誌を書くのか。

その日の日誌が書けないという事は、その日何も学ばなかったという事です。 何も出来事を感じなかったという事です。

何も学ばなければ何も成長しません。単に歳を取るだけ。

人生は今日だけのつみかさねです。今日学べなければ、学べません。

学んだ事があるなら日誌が書けるはずです。

公開する必要はありません。日誌を付けましょう。

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健康不安という問題

ぼくは結構体力ないです。健康不安があったりします。また精神的にも比較的 不安定な方です。

まあ健康に関しては今日明日死んでしまうほどではないですが、かなり問題に なる事も。

体調って精神状態にも影響を与えるのであまり不調なのはよろしくない。

これでもまだ20代なんだがな。。

とりあえず自分の体調とかを考慮しつつ、もしもの場合にそなえておかないと いけない感じです。

遺言の用意は普通にしている。でも、サイト関係プロジェクト関係に関しては 代行してくれる人いないのが現状の問題。いろいろ考えておこう。

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精神の浮沈

ぼくは結構精神的な浮沈が大きい人間です。細かい事で凹みます。

人間である限り精神の浮沈があるのは当然なんですが、それが結構生活に影響 が出るほどになると危険です。極力生活に影響出ないようにやりすごす事がで きるようになってきたけど、昔は結構大変だった。

精神が凹んでいる時はメールとかも変だし、文章もおかしい。普段おかしいの にさらに変になって困る。

こういう時は嵐が過ぎるのを待つしかない。

数学に関するあれこれ

大学時代、研究で数学を結構利用した。でも研究主題そのものがおもしろくて、 その研究のための数学って点に注目してしまったため、数学その物をちゃんと 見つめる機会があまりなかった。

この点でも数学の才能がなかったんだろう。

普段何げなく見ている物に数学が表われる事に注目するように最近はしている。

それは実際には数学ではないのかもしれないが、数学的な概念を利用すると理 解が早いので良い。

数学とか、哲学といった物は世界の見方の規範なのだと思います。つまりパター ンん認識能力が向上します。

このあたりの基礎能力がないと圧倒的に世界から経験できる物が少なくなるよ うな気がします。

基礎知識の過多で、経験の多さが変化する。それは良く考慮する必要があるよ うに思います。

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人を育てようなんて傲りだと思う

人を育てる事なんでできないと思う。人は勝手に育つのだし。だいたい自分が 立派でもないのに育てるなんてできるわけない。だから育てるって考えその物 が傲りだと思う。

楽しい事をやっていればいいのだと思う。

人生生きるが勝ち。

数学ってすばらしい

やっぱり数学ってすばらしいな。おもしろい。

いまさらだけどもっとちゃんとやっとくんだった。なんか知識が中途半端なん ですよ。

実践に生かしていく事でそのおもしろさが良くわかる。学生の時は単に点取る だけの道具みたいな所もあったからな。。美しさは十分わかっていたけど、点 にこだわっちゃう方が強く出た。数学の才能がなかったのかもしれない。

数学を実践として利用しながら、学ぶとその美しさがなぜ美しいのかが良くわ かる。

世界を良くしってから数学を知ると意義が大きいな。

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組織のあり方

ぼくは MacEmacs JP Project という一つの組織を運営しています(本当は他に も組織運営していますがそちらも同じ事です)。その関係でたびたび組織のあり 方に関して考えます。

ぼくは組織運営者としては有能ではないのでしょう。本当に優秀な組織運営者っ てのは人をもっと信じる物です。今のぼくの考えはかなり幼稚です。だから、 この後に書く事は幼稚なのだと思います。

ぼくは組織の正しいあり方は人が育つ場を作成する事だと思っています。人は 育てようとしなくても、勝手に育ちます。育つのに必要なのはただ単にその人 が育ちたいと望み、他者と出会った時そこから何かを学んだ時育つのだと思い ます。

だから組織の目標は、極力安全で質の高い他者と他者の出会いの確立を高める 事だと思います。

そして人は育ちます。であればいつかはその組織から巣立つ時が来るはずです。 巣立ちやすいようにしなればいけません。

永遠に縛るのは組織の正しいありかたではないと思います。

巣立ちとして必要な事は人として個別であると認識される事です。

組織の名前や、組織の運営者の名前に影響されてしまうと完全な巣立ちではな いのではないでしょうか。

だから、組織は組織運営者の名前なんて有名になってはいけないか、ある程度 しか有名になるべきではないと思います。

組織の名前が有名になるのは仕方ないですが、それは内部の人が重要である事 を認識していただくための組織の名前にすぎないのではないでしょうか?

ただぼくもいろいろ考えます。組織運営者が有名になるのも一つの手である事 は十分知っています。それにより組織の名前が有名になり、組織に所属する人 が有名になる、という型だって認めます。

ただぼくのやり方に合わないってだけです。

でもぼく自身が有名にならざるをえない事なんて沢山あるんですよね。それが 組織って物です。

現実ってのは頭の中で動く物でなくて人と人の関係で動く物なので、やっぱり やってみないとそのおもしろさはわからない。

まあ、組織を運営するならちょっと覚悟をきめとくべきなのだという事だけは わかっています。

だからぼくも覚悟はきめています。それが組織を運営する者のあり方だと思い ます。 ! 最後に不安なのはぼくの体調です。組織の継続を望むなら、ぼくがいないと運営できない状態は望ましくない。一人の死程度で組織が立ちいかなくなるようでは組織の運営が問題ある。 ! 今後考えていかなければいけない課題です。まだなんとか時間はあるので時間はかかるでしょうが、ゆっくりやっていきたいです。

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「キャンパスノート」30周年で復刻版発売

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0501/14/news096.html

ぼくは今はキャンパスノートは利用しない。中学高校あたりは利用していたの ですが、どうも合わなかった。罫があるノートはだめで、らく書き帳みたいな のが好き。

ぼくはノート取る時左が過去、右が未来。上下で関連を付加したりしてほんど 絵みたいにノート取ります。字形とかでも意味を持たせたりするので、人には 読めないノートになっている。

もともとこのノート方法はぼくの宗教的な関係で利用されているノート方だっ たりするのですが、どうもそのノート方法には名前があるという事を大学時代 知ったりしました。

いずれにしても、ノートってのは重要です。文字を書く事は一つの成果の表わ し方ですし、ノート取り方によって思考が整理できますから。

ノート方法によって知識の蓄積速度がかなり違います。

あまり統制されたり、整合性を気にするノート方は苦手です。綺麗にノートとっ たりするのはぼくには合わない。

ただ無罫のノートって結構売ってないのが苦労ですが。

数学の価値

数学は絶対必要です。経験が増す毎に数学の必要性を実感させられます。数学 を利用しないでなんとかならないか、と思った事も何度かありますが無理そう です。

物事の本質を捉える時に数学を利用するのが最も早道です。数学があれば非常 に早い速度で本質に辿りつけます。

物事に王道があるのだとしたらそれは数学をちゃんと勉強する事です。

今は志賀浩二の数学30講シリーズである 微分・積分30講

を読んでいます。これは良い本です。ちゃんと理解するにはとりあえず最低限 中学程度の数学知識が必要かもしれませんがかなりわかりやすく説明している と思います。

まあ受験用の書籍ではないかもしれませんが、数学を再度勉強しようと思う人 には良いかもしれません。

数学30講シリーズを順次読んでいきます。

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雪降らなかった

ちょと楽しみにしてたのにな。雨だもん。

寒い上に濡れた。風邪ひきそうだ。

なぜ価値を求めるのか

価値を求める事は重要です。価値を求めるなら、価値がどこから産まれるかを 考えておくのも良い事だと考えます。またなぜ価値を求めるのかを考えておく のも必要だと考えます。

わたしにとっては絶対価値は経験です。そしてコミュニケーションは他者の経 験と自己の経験の交換です。実際には経験は交換不可能な物ですが、人間はコ ミュニケーションにより経験を交換する事が擬似的ですができるのです。

わたしにとっての絶対価値は経験ですが、それは数値で表わせる物ではないの でしょう。数値で表わすにはその経験の交換により発生した数値としての価値 を示さなければならないと思います。

人生とは経験のつみかさねその物です。

ここまで書くとわたしがなぜ価値を求めるかという根源的な意味がわかるかも しれません。わたしは人生そのものを価値として認めています。価値を求める というのは人生その物を求める事に他なりません。

しかし人生そのものが漫然とそこにあっても人生の価値は証明できないのです。 証明には数値が必要です。

では人生の価値の証明は自己のためなのか?

おそらくわたしにとっては違います。わたし自身の人生の価値を証明する事な どどうでも良い。わたしにとってはその先が重要なのです。

おそらくそれがわたしにできる唯一の証明です。

だから生きて価値を産み続けようと思います。

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明日は雪なのか、、

積りそうとの予報。大変そう。

価値の循環をどうやって開始するか

価値が交換によって発生するならば、一番最初になんらかの絶対価値を必要と するはずです。そうでなければ、まず最初の交換が発生しません。

かつて紙幣は金と交換できる事によりその価値が保証されていました、では金 が絶対価値でしょうか?

違います。なぜなら、金が「工業的に利用可能」で「工業的に希少」である、 ということによって始めて金が価値を持つからです。金色である事が価値を産 んでいるのではなく、価値があったから金色が価値があるように見えているの かもしれません。

金は工業的な希少性により交換価値を保持しているわけです。交換できないな ら金その物には価値などないのです。

では工業的な物が絶対価値ですか?これも違いますね。さて、こう考えて行く とやがて、基の場所に循環して戻って来る可能性がとても高いです。

いったいどこから開始したのか。それは謎なのでしょうか?

いえ、謎ではないのです。価値の開始は必ずあります。単にわたし達が現在見 ている価値は、一定の速度で循環を開始した後の円環を見ているため、循環す るだけです。

今わたしにとって問題なのは、この循環をいかに開始するか、という事です。

なぜ価値の循環を開始したいかと言えば、価値を産まない物など無意味だと考 えるからです。つまり交換できない物は無意味。

価値を開始する場合は、既存価値の円環の中に組み込み込ませるのが妥当な方 法です。さてどの円環に組み込むかが問題となります。

この世界は一つの円環によって成立しているわけではありません。多数の円環 が循環する事で成立しています。実際は全ての円環が正円(等価円)なのですが、 人間が見るとそれは多様な円に見えます。この多様な円に見える事が価値の増 加を産みます。

相手に正円に見せない事が重要です。角度を変えてあげれば正円に見えない。

さて何をどう見せれば良いのか。そして既存の価値はいかにその円環の中に組 み込まれているのか。これは統計によって見る事ができます。また算術が不可 欠です。真実の円環は数学によって見る事ができる。

数字なき交換など意味がないのです。

価値を産むとは数字によって証明できる物です。数字を出さなければなりません。

数字こそ命。その根源です。

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価値の絶対性と相対性

価値とは時に絶対性を信じたくなる物です。しかし、実際どれほど絶対性があ るのでしょう。価値の絶対性とはいかなる時に発生するのでしょうか。

他人の公開日記を読んでいた時「等価交換」という言葉が出てきた事がありま す。どうやらアニメに関連している言葉のようですが、問題ある単語です。

交換が等価であるのは当然です。なぜなら交換が成立した事によって等価であ る事が証明されるからです。つまり交換が成立したら、それが等価です。

つまり「等価交換」という単語は矛盾しているのです。

よく考えましょう。100円の物は100円だから100円で買えるのではありません。 100円で買えるから100円なのです。

100円の商品と100円が等価だから交換できるのではありません。それで交換さ れるから等価なのです。

これを間違えてはいけません。

「等価交換」という言葉は絶対価値の存在を前提とします。それに気づきます でしょうか?絶対価値がなければ等価交換はできない事になります。

絶対価値は存在するのでしょうか。

絶対価値は記述不可能なはずです。それは示す事しかできませんが、わたしは あると言っておきます。しかしそれは通常考える物とは違います。

絶対価値の意味は深いです。

価値を産もうと考えるとき、交換が価値を産む事をけっして忘れてはいけませ ん。自分の交換しようとする物が絶対価値があると信じてはいけません。

絶対価値がないのならば、相対価値しかない事になる。その価値を利用できる 人、つまり交換可能な物を持つ人と交換しないと価値は産まれません。

価値とは交換により発生するのです。相手から何かを交換してもらう事になり ます。

それが相手にとって重要な物であれば交換に利用されません。

相手が交換する物でこちらも交換する事になります。十分価値に関して考慮する必要があります。

わたしはわらしべ長者を思いだします。あれは全て等価交換によって成立しているのです。

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価値の産み方

価値をどのように産めば良いのでしょうか。どのような物が価値があるのでしょ うか?

価値は交換可能性により発生するというのが一つの説です。この説に基づけば、 交換できる事によって価値が発生するわけです。さらに言えば交換すればそれ が価値です。

このような見地で紙幣を見ると、紙幣はただの紙ですが、物と交換する事が可 能なので価値がある、ととらえます。交換を促すためには本当の意味ではやく に立ってはいけません。やくに立つ物だと交換されない場合があるため、おの ずと本来は無価値な物になる場合が多いようです。

さてアイデアや能力を価値に変換するにはどうすれば良いか。それには交換し なければいけません。

交換するには交換可能な物を相手がもっていなければいけません。

特に「交換可能な物を相手がもっている事」が重要です。

自分の能力が評価されない、と言う場合、相手がそれを評価しても交換可能な 物を保持していない場合は価値は発生しません。

何で交換すれば良いかを教えてあげる事も時には重要です。

金ですか?時間ですか?地位ですか?

交換において、交換に利用される物はほとんど(相手にとって)価値のない物で す。利用されない(交換されない)能力なんて本来は無価値なものかもしれない。

相手は自分のもっている物を無価値と思っているかもしれない。

無価値だから交換しない、という偏見がある。しかし交換する事により価値が 発生するわけですから、相手にとって無価値である方がよりよい。

相手にそれくれ、というと相手はなんだそんな物で良いのか?と拍子抜けされ たりする。

逆に相手にとって価値があり相手も利用している物を交換する時は大変だ、と う事を十分に理解すべきです。相手が価値ある物ととらえる物は交換されない。 本来は交換する事で価値が発生するのだが、利用可能なので交換に利用されな い。

このような物と交換するには別の手を考えなければならない。

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