< 2005年01月 >
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人を守りたいのは守ってほしいからか

なのでしょうか。やはりそうなのかもしれません。

人を強く守りたい、より多くの人を守りたいと思うのは自分をより強く守って ほしい、より多くの人から守ってほしい、という思いから発生するのかもしれません。

同じ論調なら、人を幸福にしたいのは自分が幸福になりたいから。人を金持ち にしたいのは自分が金持ちになりたいから。

しかしそうではないのかもしれません。それがわからないから人を守ろうとす るのかもしれません。

人にすべての物をあげても、どんなに渡しても、結局自分だけはどうやっても 残ります。

どうやっても自分は相手にあげる事はできないのです。どんなに望んでも、自 分を他者にあげる事は不可能です。

自分、これが最後に残る物。

例え人を守りたいのが自分を守ってほしいからだとしても、あげられる物は全 部相手にあげてしまえ。自分だけは最後まで残る。

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合気道の見学いってきました

とりあえず今日は見学だけです。日曜日なので人が多かったです。ちょっと道 場が狭い感じ。

おそらく入門すると思います。時間調整をしておかないと。

人は神の視点など持てない

当然の事ですが人は神の視点などは持てません。自分の視点しか持てません。 それは遠近法でわかる事です。

遠近法では自己の見た世界を描きます。そうしか人間には見えないからです。

この遠近法の視点を明確に記述したのがマッハです。

人は時に自分が神の目を持っているような気がするようです。しかし、人は神 の視点など持てるわけがない。そういう形式の上に成立しているのだから仕方 ない。

もし神という物がいるなら、それは世界にとって最初にして最後の物であり、 最高にして唯一の物なのでしょう。

これにあてはまるとしたら自分自身の事になっちゃうでしょう?

世界とは自分そのものでしょうし、その世界で最初で最後、最高にして唯一っ てのは自分しかいないでしょう?

必然的に神がいるなら自分って事になってしまう。

だったら神なんていないんですよ。

世界は自分の視点で見るから価値があるんです。大局的に見る?何それ?どう せ、自分の世界しか見えません。

人と出逢う事で多少人の世界を見せてもらえますが、でも結局自分の世界から 他人の世界を見るだけで、それだって自分の世界です。

絶対に他者を理解する事なんてできません。

でもそれは絶望ではなく希望です。

どちらにしても理解はされないでしょうが、、誤解されても世界とはこういう物です。仕方ない。

手帳と名刺入れ買って来た

手帳がどうしても欲しくて買って来ました。あと名刺入れがへぼい物だったの で、新しいの買って来ました。

名刺入れはコードバンです。ちと高かった。

手帳もコードバンにしちゃおうかと思ったが、かなり高かったので合革でがま んしました。とりあえずしばらくこれを利用します。

もし手帳がもっと必須になったら手帳もコードバンにしようかな。。

長く利用する物を革製品にしたいならコードバンに限ります。高いですがね。。 あと好みの問題もありますが。。

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合気道の見学を申しこみしました

明日の午前練習を見学しに行きます。

合気道を見学しに行くのは各種武道のサイトを捜して、一番家から近い所に道 場があるのが合気道だったのです。知らなかったのですが道場まで家から5分で す。知らないと気づかない物ですね。

まあ近いからだけでなくて合気道には前から興味があったのです。道場が近い のは長く続けるには好都合です。

とりあえず明日は見学して、長く続けるのに問題なさそうであれば入門してし まうかもしれません。

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体を使う趣味を捜そう

ぼくは頭中心で行動が後になりやすい性格です。頭の中で全てやってしまおう とします。まあ実際は頭の中でやれるはずないので、ただの怠惰です。

頭の中ばっかりだから世界が正常に見れないのだと思います。次は体を利用す る趣味を見つけようと思います。

武道なんてよいな。空手と剣道と弓道はやった事あるので他の物にしよう。長 く続けたいのであまり無理のない物にしようと思う。

とりあえずいろいろ捜して見学しにいってみようかな。

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哲学的な方面からの世界の見方から別の方面からへの見方へ

しばらくは哲学的な方面からの世界の見方に興味がありました。それがこの日 記にこの数ヶ月書かれていた事です。しかしある程度哲学的な勉強して現実を 見ると哲学的な見方は大変やくには立つが一面的だと思うようになりました。

ぼくには世界との違和感という感覚があり、それが世界の見方への興味に繋が りました。とりあえず哲学や心理学を勉強すると良さげという事で哲学、心理 学方面の書籍を大量に読みました。

マッハ、現象学、論理学、構造主義、そしてウィトゲンシュタインと哲学者の 思想を勉強し、結局数学へいたった事で哲学的な世界の見方への興味は終了し ました。

違和感が完全になくなったわけではないし、世界の見方その物への興味が失し なわれたわけではないのですが、その次にいかないと思考が停滞してしまう感 じです。

この次にやるべき事は勉強ではなく世界を普通に生きれば良いわけです。でも 基本的にぼくは勉強好きなので次になんか勉強すべき事を見つけないとだめそ う。

次は何を勉強してみようかな。専門と違う事を勉強するとかなりおもしろいし、 世界の新たな面が見えてきます。

この世界に対する興味は一生失なわれないと思います。常に多様にして一つの この世界を知るために学んでいくと思います。

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ちょっとスランプ

日記を書くのがちょっとスランプ状態。かなり疲れている感じです。

なんと言うか、書く事が沢山あるようで書けない。書いても自分の意図が自分 できまらない感じ。

次の事を考えないといけないな。今の所はもう壁っぽい。次の一手が必要か。

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日記は公開した所で私的だとあまり読まれない

のか?

内容がおもしろくないと読まれない物なのかもしれない。

そもそも公開日記って本当に読まれる意味あるんですかね。普通日記って人に は大した意味ない物です。

読まれて恥ずかしいってのは人に自分の意図が理解されるって信じるから恥か しいんであって、他者は日記書いてる人の本当の意図なんて理解できませんっ て。

誤解されるのはさすがにちょっとまずいが恥かしいって事ではないような。

ぼくは自分の日記で本当に人がぼくの意図を取らえらるなんて信じてない。誤 解されるのがせいぜいなんだろうと思う。誤解されるのは文章の問題だけど、 その誤解は相手の中の物にすぎないって事に相手には気づいてほしい。

ぼくの文章を理解するのは結局相手。それをどう理解しようがしったことではない。

まあ誤解されないように極力努力はするが、この日記は普通の日記ではないの で、どう理解されても仕方ないかな。

公開日記であるかぎり、本当にプライベートな事なんて書くわけないんですか ら。その点ぐらいはちゃんと注意してほしい物です。

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恐れを克服する

現在ではほぼ問題にならなくなってきましたが、ぼくにはいくつかの精神的な 問題がありました。

かつてもっとも問題となったのは人から信用されるのを恐れるという精神的問 題です。信用されはじめると恐れを抱くのです。

時にはその恐れのあまり、異常行動を行なった事もあります。

仕事では非常に重要な事をやりながら、能力よりは低い事しかやらないという 事を行なってしまったりしていました。

なぜかを考えてみました。

ぼくは比較的甘やかされて育てられました。というより特殊な育てられかたを したのだと思います。

自分が思った事が自動的に叶えなれるという状況で育ったのです。

実質的には非常に感受性が強く、周りが望んで欲しい事を望んでいたのですが、 それには気づいていませんでした。

状況的にはあたかも自分が望んだ事を周囲が自動的に行なっているような感じ になったわけです。また周囲がそれを肯定するという状況でもあったわけです。

しかし世界とはそういう物ではないわけです。感受性が強いといっても世界は そのままを望んでいるわけではありません。

ぼくの最初の挫折は大学の時でした。完全な一人暮らしの開始です。

これと同時にぼくは自分がいかに自己の宗教的な思考にたよって生きていたの かを発見したのです。

それが同時に恐れを産みました。

ぼくの宗教は布教禁止です。言葉により布教する事を禁じます。

人から信じられるのは、ぼくの宗教的が信じられる事と同一でした。ぼくはぼ くその物が宗教その物なのです。それはあってはならない事なのです。布教と 同じ事ですから。そう思っていました。

しかし、人とコミュニケーションを取り、普通に生きているとそうではないの だとわかってきたのです。あたりまえの事がわかってきた。

他人はどうやってもぼくの事は理解できない。ぼくと他者であるかぎり絶対に 理解しあえない。そんな事は当然な事なんだ、という事に気づきはじめました。

他者と分りあおうという努力は無駄です。しかし対立しないように努力する事 は必要です。理解はされなくても少なくとも対立でなく協力し会う事は可能な わけです。

協力しているからってそれは信じていたり、理解しあっているって事ではない。

ぼくは人から信じられているという幻想を恐れていただけだったわけです。

人と理解し会えない事を理解した時、ぼくは一人で生きられるようになって来 ました。そして一人で生きられる事で始めて他者とコミュニケーションを良好 に取れるようになって来ました。

他者との理解を断念する事は絶望ではありません。大きな可能性の開始です。

理解しあえない他者がいるから、この世はすばらしい。というのがぼくの信念です。

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ノート

寒い中ツバメノートをまとめ買いしてきた。

今日はハンズで買って来た。買うのは当然のように無地ノート。

そういえば同じ売場に手帳が売っていた。こんど手帳も買おうと思う。手帳に 記録を残さないとデータが後で統計できないですから。

ちょっと疲れているかも

体調良くない。今日は日記も良くないし。疲れているみたい。風邪をひく前にさっさと寝ます。

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成果発表は何を発表すべきか

たとえば一年間の自らの成果発表をするとして、一体何を発表すれば良いので しょうか?

ただの自慢になってはいけません。ただの自己批判もいけません。他者に感謝 するだけでも芸がない。

実際の所数値を淡々と話し、その数値の出た要因、出る要因を話すしかない。

どのような作業でも数値は出せるはずです。また目標も数値を出すからにはそ の根拠があるはずです。

ただ数値目標を高く設定すれば良いという物ではない。根拠が必要だ。

成果は結局数値となる。実績となる。またそれはつみかさねる事で意味が出る。

成果発表で発表すべき事は数値ただ一つ。主義主張は話しても良いが最低限と すべし。思いは言葉だけでは理解されない、行動が必要だ。そして行動は数値 として残る。

数値を十分に話し、行動を示し、そしてちょこっと思いを話すのが、成果の発 表という物なのかもしれない。

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