< 2005年01月 >
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価値の絶対性と相対性

価値とは時に絶対性を信じたくなる物です。しかし、実際どれほど絶対性があ るのでしょう。価値の絶対性とはいかなる時に発生するのでしょうか。

他人の公開日記を読んでいた時「等価交換」という言葉が出てきた事がありま す。どうやらアニメに関連している言葉のようですが、問題ある単語です。

交換が等価であるのは当然です。なぜなら交換が成立した事によって等価であ る事が証明されるからです。つまり交換が成立したら、それが等価です。

つまり「等価交換」という単語は矛盾しているのです。

よく考えましょう。100円の物は100円だから100円で買えるのではありません。 100円で買えるから100円なのです。

100円の商品と100円が等価だから交換できるのではありません。それで交換さ れるから等価なのです。

これを間違えてはいけません。

「等価交換」という言葉は絶対価値の存在を前提とします。それに気づきます でしょうか?絶対価値がなければ等価交換はできない事になります。

絶対価値は存在するのでしょうか。

絶対価値は記述不可能なはずです。それは示す事しかできませんが、わたしは あると言っておきます。しかしそれは通常考える物とは違います。

絶対価値の意味は深いです。

価値を産もうと考えるとき、交換が価値を産む事をけっして忘れてはいけませ ん。自分の交換しようとする物が絶対価値があると信じてはいけません。

絶対価値がないのならば、相対価値しかない事になる。その価値を利用できる 人、つまり交換可能な物を持つ人と交換しないと価値は産まれません。

価値とは交換により発生するのです。相手から何かを交換してもらう事になり ます。

それが相手にとって重要な物であれば交換に利用されません。

相手が交換する物でこちらも交換する事になります。十分価値に関して考慮する必要があります。

わたしはわらしべ長者を思いだします。あれは全て等価交換によって成立しているのです。

Author: sakito Category: /diary/2005 Permalink: Permalink
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