< 2005年02月 >
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人生の価値は勇気によって支払われる

人生を本当に生きるには勇気が必要です。勇気なしでは何も起りませんし、ま わりに流されるだけです。

ぼくは気が小さい方ですが、機会があるなら勇気をふりしぼってみる事も時に はします。

ほとんどの事は失敗しても死ぬわけではありせん。まさに死ぬような瀬戸際の ために何度か失敗しておくのも経験の内です。

何もしなければ安心していられますが、何も変化しないか、周りが勝手に変化 していく事に流されるだけになってしまう。

それでも良いのかもしれないけれど、人生を生きたと満足できるだろうか。。

わたしはわたしについて確実に知っている事がある、それは産まれた事と死ぬ 事です。いつかは死ぬのならば、生きてやった!、といいはなって死にたい物で す。

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体調不良です

ストレスになっていた事がなくなった事による精神的な面によるようですが、 かなり体調不良です。

かなり一気に体調に来ています。。

精神的にストレスがなくなった時にはもっと気をつけないといけないな。。と 毎回おもている。。

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日記を公開する意味

あまり意味はないのかも。

ぼくの場合は人に読まれる事が目的なのではなく、公開前提で書く事でちょっ と書く内容に志向性を持たせているに過ぎないからかもしれないけど。

たとえば技術的な事柄や、政治的な記事を日記をして記述するなら結構公開す る意味あると思うけど、こういった記事は日記のような形式よりコラム形式と かの方が適切な気がしないでもない。

でも人の書き方の問題もあるのでどのような形式が適しているかは人によるの だろう。

この日記にあまりこい内容かかないのはどうもぼくが日記という形式をとても プライベートな物として見ているからのような気がします。

きわめて私的な事ばかり書いているのはその前提かあるからでしょう。

私的にすればするほど、誤解の確率が増加し、人に読まれる程度は減少するよ うな気がします。

ちょっと日記という形式に関してちゃんと検討する必要があるのかもしれません。

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価値観の設定

価値観を設定する事は重要です。なぜなら人生を何を持って運営して行くかを 決定するのはその価値観だからです。

ぼくにとっては自分の宗教が価値観の基準になっているので、あまり具体的に 自分で価値観を設定して決ませんでしたが、明確化しないと対立が深まる事が 最近多くなって来たので、やはり明確な価値観の設定は重要だと認識するよう になりました。

対立が深まったりする理由は相手も自分の価値観を明確化していないため、いっ たい何が重要なのかわかっていないためです。

またぼくが相手に自分の価値観を説明しないため、意思の疎通が明確に行なえ ないという事が問題です。

説明は丁寧にしないといけないようだ。大変だが、人と共の仕事をしなければ 決っしてぼくの仕事は完成しないし、また人と仕事するのがぼくは根源的に好 きなので、ここは努力のしどころだろう。

ぼくの価値観を実行するのに必要な過程の一つのようだ。

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注意事項

この日記に書かれている事は一部思考実験や想定上の事柄が含まれます。自分が 信じていない事や、実際の理論とは別の事などを書いている事もあります。嘘 を書いているわけではありませんが、ぼくの思想その物とは切りはなしておい ていただけるとありがたい。

内容に関してあまり真剣に取らないでください。

自分が最も価値を置く物は何か

今は TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究

という本を読んでいる。

ぼくはビジネス書の類はあまり読まないのだが、ちょっと機会があり読む事に なった。

なかなかおもしろい書籍です。

この書籍の中で自分が何に価値を置いているかを明確に認識せよという事が書 いてある。

嘘なく自分の価値観を発見し、その価値観を認めよという事でしょう。

まあビジネス書の類はいつも当然の事しか書いていません。普通にやれば良い 事しか書いていないわけです。

でも普通の事ができない人がほとんどなのでこういう書籍が売れるのだと思い ます。

D.カーネギーの書籍も普通の事しか書いていない。

で、ぼくがこういう書籍が嫌いなのかというと、正直に言うとすばらしいと思う。

あたりまえの事をあたりまえに書く事の重要性というのは人が気づきづらい事 なのでしょうし。

D.カーネギーの書籍なんかも嫌いがる人もいるのですが、嫌いではない。

まあ読んだ後試しにでも実行してみれば価値がわかる。試す価値をどうやって 自分が決めているのかぐらいは分るようになると思います。

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市場の形成

交換によって価値が発生する、と言う場合その交換は取引と呼ばれるようにな るのかもしれません。取引と呼ばれるなら、それは市場を形成する可能性があ ります。

また逆に市場が形成された事により取引が発生する事もあります。

市場が先で取引が後という事は結構ある物です。

どのように市場を形成すれば良いのでしょうか?

市場での交換を介在する物は金銭である必要はありません。金銭を中心とした 市場が多いのは確かですが、実際の交換を介在している物は別の物と見る事も 可能です。

市場を形成するとは、取引を介在する物を勝手に決定する行為です。実際には 自分勝手と言えば言えるのでしょうが、十分に交換可能な物を取引すればその 市場は認められる事になります。

市場を認めていただくには、取引者が必要です。十分に人数がいなければ市場 は成立しません。

市場で求める物は人によって異なります。市場は常に多様な物を取引していま す。単に取引を介在する物品が異なるだけで、どの市場も実際は似たような物 なのかもしれません。

市場を形成する時にはどの程度グローバル化するかという事も考慮する必要が あります。グローバルすぎると利益の拡散率が高まります。

十分に収益が望めるならばグローバル化した方が望ましいでしょう。しかし通 常個人が運営する市場はそれほどグローバル化を性急に行なうのは危険です。

状況のまかせる所が少なからずあります。ただ、どこかに閾値がある事は認識 しておかないと時には危険かもしれません。

まあこれは例えです。こう考えてみるのもおもしろいって思考実験。

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オープンソース活動では何が交換されるのか

以前にもこの日記に書いた事がありますが、交換によって価値が発生するとい う説があります。

物には絶対価値はなく交換の価値によって相対的に価値が発生するという考え 方です。完全に理解しているかは疑問ですが、ぼくは基本的にこの考え方に同 意しています。

交換に利用される物は基本的には無価値な物が利用されます。貨幣は交換が前 提になければ無価値です。ただの紙だったり、板切れにすぎません。

無価値な物であっても交換の主体となる事で、あたかも価値ある物であるかの ように捉えらるわけですが、実際にはそれによって交換される物に実際の価値 があります。

オープンソースにおいては何が交換の主体でしょうか?

ぼくは今の所ソースコードであると考えています。ソースコードには実質の価 値があるかのようですが、何かに利用されなければ無価値です。

利用されるのが研究であっても、何かの日常業務であっても、なんらかの形で 利用されるはずです。

オープンソース活動ではソースコードその物は金銭で計りません。ソースコー ドが主体なので、ソースコードによって金銭を買うのです。

交換主体はソースコードであるという考え方をして、それが貨幣制度と同一の 役割をはたすという思考をしてみるとおもしろい物です。それが正しいとか、 正しくないとかはここでは無視しておきます。

ソースコードが交換主体であるには無価値である必要があるのです。

コードその物を無価値にすればするほど、何か価値ある物と交換可能性を広げ る事ができるのです。

時にはそれが金銭であったり、名誉であったり、時間であったり、知識であっ たりするわけです。

人によって何が最高の価値、絶対の価値なのかは不明ですが、交換主体を自分 で作成して行けることに、オープンソース活動の意義がある、とぼくは考えま す。

これはオープンソース活動に限らず、あらゆる活動で言える事かもしれません。

もっとも重要と思う物品を無価値な物として交換主体にしてしまう。それによ り自ら交換主体を発行できる、という事になるわけです。

交換主体を発行している者が最強です。

アイデアであっても良いのです。コンサルタントであるならば最も重要なアイ デアは相手にあげてしまうに限ります。ただし何かと交換しましょう。

相手から時にアイデアを貰ったら、それを返してしまいましょう。金銭は世界 を周るのと同様アイデアも世界を周ります。

何を交換の主体とするかはその人自身の能力によります。しかし、常に自身に とっての重要な物を交換主体とする可能性を考えてみるのはおもしろいかもし れません。

自分にとって重要な物が他者にとっても重要なわけではありません。また他者 にとって無価値な物が自分にとっても無価値なわけではありません。

交換によって価値が発生し、交換主体は常に無価値な物でなければならない。 という思考は何かを産む可能性をもっている、とぼくは感じています。

ただこれが正しいかどうかはまだわかりませんが

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