< 2005年02月 >
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価値と富に関する考察

富は金銭によってのみ量る物ではありません。金銭は交換の過程でたまたま手 元にある物の一つにすぎません。

基本的に経済という物は交換によって成立しています。物々交換も一つの交換 ですし、金銭を媒介した交換も存在します。

どのような交換をしようがそれは富を得る事ができます。

金銭は比較的汎用的に交換の媒介物として利用しやすい物ではあるのですが、 価値が得られるならば何を交換の媒介物としようが問題ありません。

ほとんどの場合交換が発生します。どのような与える行為も、失なう効果もほ とんどの場合必ず交換が発生しています。交換を意識しているかいないかに関 わらず、交換が発生していると見た方が妥当なのかもしれません。

人が一人で持てる物はその人の器によるのでしょうか。もし器によって持てる 富の量が決定されているとすれば、何かを得るとその器から何かが多少こぼれ る事になります。

注意すべきはこの場合、必ずしも自分が価値を置く物が他者にとって価値があ る物なわけでなく、また自分にとって無価値な物が他者にとって無価値なわけ ではないという事です。

もし今この時点で持てる量が決定されているならば、意図して失なっても問題 ない物を世界に対して与えてしまえば自分にとっての価値の喪失は最小になる はずです。

では何が自分にとっての価値なのか。これを決定しておく必要があります。

交換は常に発生していて、随時交換物を必要としている。交換する時に意識し ないで交換してしまうと価値ある物を失なう事になりかねない。

持てる価値の量は交換すればするほど増加する。

基本的には他者に与えれば与える程得られる幸福の量は増加する事となります。

ただし本当に自分に価値のある物を相手に与える必要はありません。与えられ る物を与えれば良いだけです。

なんでもかんでも与えれば良いって物ではない。

じゃあ何が自分の価値なのか。

まず計画を立てる事です。人生を有意義にすごしたいならば、計画する時間を 数分でも良いので持つべきです。

計画に費す時間とそれを検証する時間が十分もてるなら、時間などいくらでも 交換可能です。

価値は自分の中にしかない。富は世界にあまねくあり、十分すぎるほどの量が ある。

何によって自分が幸福になるかはいくらでも選択できる。

富と価値は結局自分の中からしか生れない。

Author: sakito Category: /diary/2005 Permalink: Permalink
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