オープンソース活動では何が交換されるのか
以前にもこの日記に書いた事がありますが、交換によって価値が発生するとい う説があります。
物には絶対価値はなく交換の価値によって相対的に価値が発生するという考え 方です。完全に理解しているかは疑問ですが、ぼくは基本的にこの考え方に同 意しています。
交換に利用される物は基本的には無価値な物が利用されます。貨幣は交換が前 提になければ無価値です。ただの紙だったり、板切れにすぎません。
無価値な物であっても交換の主体となる事で、あたかも価値ある物であるかの ように捉えらるわけですが、実際にはそれによって交換される物に実際の価値 があります。
オープンソースにおいては何が交換の主体でしょうか?
ぼくは今の所ソースコードであると考えています。ソースコードには実質の価 値があるかのようですが、何かに利用されなければ無価値です。
利用されるのが研究であっても、何かの日常業務であっても、なんらかの形で 利用されるはずです。
オープンソース活動ではソースコードその物は金銭で計りません。ソースコー ドが主体なので、ソースコードによって金銭を買うのです。
交換主体はソースコードであるという考え方をして、それが貨幣制度と同一の 役割をはたすという思考をしてみるとおもしろい物です。それが正しいとか、 正しくないとかはここでは無視しておきます。
ソースコードが交換主体であるには無価値である必要があるのです。
コードその物を無価値にすればするほど、何か価値ある物と交換可能性を広げ る事ができるのです。
時にはそれが金銭であったり、名誉であったり、時間であったり、知識であっ たりするわけです。
人によって何が最高の価値、絶対の価値なのかは不明ですが、交換主体を自分 で作成して行けることに、オープンソース活動の意義がある、とぼくは考えま す。
これはオープンソース活動に限らず、あらゆる活動で言える事かもしれません。
もっとも重要と思う物品を無価値な物として交換主体にしてしまう。それによ り自ら交換主体を発行できる、という事になるわけです。
交換主体を発行している者が最強です。
アイデアであっても良いのです。コンサルタントであるならば最も重要なアイ デアは相手にあげてしまうに限ります。ただし何かと交換しましょう。
相手から時にアイデアを貰ったら、それを返してしまいましょう。金銭は世界 を周るのと同様アイデアも世界を周ります。
何を交換の主体とするかはその人自身の能力によります。しかし、常に自身に とっての重要な物を交換主体とする可能性を考えてみるのはおもしろいかもし れません。
自分にとって重要な物が他者にとっても重要なわけではありません。また他者 にとって無価値な物が自分にとっても無価値なわけではありません。
交換によって価値が発生し、交換主体は常に無価値な物でなければならない。 という思考は何かを産む可能性をもっている、とぼくは感じています。
ただこれが正しいかどうかはまだわかりませんが
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