公開していることで発生する限界
極めて私的な文章であるにもかかわらず公開しているという矛盾によりこの記 録に掲載している文章には自ずと限界が生じているように時に感じます。
公開が憚られるほどに私的な事が記述できないという事がその一つです。
この生存報告において記述される文章のほとんどは自分の生存のために成され た思考を記録しておいている物です。そのため極めて私的な事柄を記述しない と生存の問題に実際はせまれない場合もあります。そのような場合は記述を極 めて曖昧にするか、名を付け変える事による単純な暗号により記述する事にな ります。
NHS秘密日記機能を利用する手も考えたのですが、極めて私的な記録は電子的に 残したくないという事さえあるのです。
以前から私的な記録を書く必要が生じた場合は草稿を紙に記述してそれの一部 から結論のみを記述している記録も存在します。その場合は突然結論が出たよ うに見えているかもしれません。この場合自分が後日その思考の営為を再現で きるかは不明です。おそらく再現は可能なのですが、言葉として記述されてい ない営為は結果的には無為になる可能性を秘めています。
そもそも公開しないという事は考えていません。わたしにとって生存を報告す るとはただそこにいる事を報告する事ではありません。それがこの記録が公開 されている意味です。
公開する意味がどういった意味かを記述する事は今はまだ不可能です。それを 記述するためにこの日記録は公開されているという事です。
正確に記述するには論理的記述を必要とします。よって論理の練習の必要があ ると思っているのです。文に記述できる限界はあるのかは問題ではありますが、 可能であるなら後は練習の問題です。
この記録が生存報告である意味をこの記録の中で示し記述していきたい。
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