< 2004年11月 >
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本当に望み本当に信じている事は何か

たとえばWebサイトを運営していて何を望むのでしょうか。アクセス数でしょう か?アクセス数を得ると何が叶うのでしょうか。アクセス数その物が本当に望 む物ですか?

本当に自分が何を望んでいるかを知っている人は少ないように感じます。さら には自分がいったい何を信じているのかを知っている人も少ないように感じま す。これは単にわたしがそう感じるという事にすぎないので本当かどうかは不 明です。少なくともそう感じるわたしはその通りなのだと思います。

わたしは他者との関係を本当に望んでいるのか、という問いであればそれも望 みであるけれども実際に本当に知りたい事はこの世の仕組みが知りたいのだと 思います。信じている事はこの世に仕組みがある、という事でしょうか。

疑うべきはこの世に仕組みがあるという信念なのかもしれません。しかしわた しはなぜかそこは議論なしに仕組みがあるという事を信じています。

この場合仕組みを知ったとしてどうするのが望みなのか、というのがさらに問 いとなるでしょう。

おそらく探究すると底がないのですが、現状のわたしにとっての底はこの仕組 みという概念その物のようです。

この世界が奇跡でできている事は認識しています。だから本当には仕組みなん て物はないんでしょう。仕組みなく動作するからこそ奇跡なのかもしれません。 それでも種が知りたい、一部には種があるはずだという信念がなぜかあるので す。矛盾していますが、その種の原因その物がわたしの信仰なようです。

なにを望んでいるのか、という問いは本当に自分がやりたい事を自分に知らせ てくれます。それは何のためなのか、今自分は何をやっているのか、それは望 みに近づくのか。

自分を知る事、自分が知っている事を知る事はとても困難です。しかしその一 部でも知る事ができれば自分という物の意味がわかるのかもしれません。

年末までの目標

  • 日記を毎日5分書く
  • 人の話しの途中に発言しない

人の話しの途中に発言というのは結構やってしまう。どうも我慢できない時が ある。相手があきらかに過った発言している時とかはどうしても止めてしまう。 でも相手には相手の意図があるわけで、本当に話したい事が何かを知るまで発 言を止めるべきではない。

待つという事を訓練したい。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
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