< 2004年11月 >
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自己盲目という問題

自分の事は自分が一番見えていない、というのが実際の所です。自分の考えて いる事を自分が実際は良く理解していない事さえもあります。また、自分の言っ ている事が矛盾している事に気づかない事なども良くある事です。

実際日記を連続的に書いてみて良くわかったのは、本当に自分の事が見えてい ないという事です。

例えば、他人のいる事が奇跡だと言っているのに、自分が力がないからだめだ と言っているのが矛盾だというのが気づきの一つです。

自分が本当に求めているのは力ではなく関係だけです。そして他人がいる事そ の物が奇跡であるなら、他人が力を得たとしても問題はまったくありません。 というか奇跡を信じるならば当然そのような事になるのだと思います。

そしてわたしには力などは不要だという事です。単に最大限他者が関係を構築 できるように考慮しながら物事をやれば良いのだという事に気づきました。と いうかいままでもそうやって来たはずなのです。

ただ、今までは他者と他者との関係という部分にあまり注目せず、単に他者に 利用しやすい物を公開するという事に主眼があったようです。

これは他者と自己との関係のみにしか注目していない行動です。他者と他者が 出あうという奇跡をあまり考慮していなかった。

他者と他者との出会いの権限は他者にある。当然それをわたしがどうこうでき るわけではない。でも他者と他者をより出あう機会を高めるようにはできるの ではないか、そこに奇跡が産まれ続けるのではないかと思うのです。わたしに とっての利益は単にちょっとした関係が得られるだけで満足なのです。それさ えあれば十分に利益です。

他者と他者との出会いで利益を得るのは他者でありわたしには利益はないです が、そんな事はどうでも良い。

わたしにとっては世界が本当に奇跡でできている事を知る事ができるのが楽し いのです。その奇跡の全体でなくてもごく一部に触れるだけで良い。

自己への盲目をとりさるためにしばらく連続的に日記を記述しようと思います。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
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