< 2004年11月 >
CW
(45)  1 2 3 4 5 6
(46) 7 8 910111213
(47)14151617181920
(48)21222324252627
(49)282930    
他のブログ等: 「技術的生存報告記」 「sakito@twitter」 「はてなダイアリー」 「はてな Emacs グループ」

論理的に文章を書く必要性

この一週間毎日最低5分かけて日記を書いて来ました。それを読みなおして気づ いた事は自分の日記がかなり非論理的文章だと言うことです。

まず、前提において他者が知り得るはずのない情報を多量に含む知識から記述 が開始する場合があります。これではその後の記述の正当性を判断不可能です。 当然のように外部の人にはまったく意味を成さないと思われます。何か意味あ りげな事書いてあるな、のように感じるのは単に前提がないためにその何かが 判然としないというだけにすぎません。

ただ、この日記はあくまでも私的な日記であり他者にわかる事を目的としてい ないため非論理的であるのは問題ではないという見方も可能です。しかし、た とえば来年自分で読んでその非論理的記述を自分で理解する事が可能かが問題 です。

論理的であれば推論の蓄積がされるので意味ある蓄積となりえる可能性があり ますが、非論理であればそれは砂上の楼閣と同じ事になってしまいます。

前提を確定させた上で始めてその論理が成立するはずです。

他者が持ちえる知識を明確に判断し、またその前提となる知識の確実性に関し て考慮する必要があるように思います。

ここには論理とは何か、思考はどこまでできるのか、では言葉もしくは文章に する事はどこまで可能か、そして確実性とは、という問題があります。

上記の反省より、論理の練習をする必要があるように思います。以後の日記は 極めて私的な営為として論理的記述を勤めて行なう練習をしたいと思います。 また一日の内で論理的であった思考、もしくは非論理的であった思考に関して 一つは最低見付けるようにしていく事で、自己の思考の問題を解明してみたい と思います。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする
以下はゲストコメント可能です。名前とメールアドレスは任意の物を入力していただいてかまいません。
blog comments powered by Disqus

このページの先頭へ

copyright (CC-by) 1999-2024 sakito
Powered by pyblosxom. Theme: TheBuckmaker.