< 2006年02月 >
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プログラムを学ぶのに宗教学習は必要か

まあ普通は不要だろう。ただ、プログラム言語によっては聖書の内容を知って いると大変に意義深い言語も存在する事は確かだ。

やはり作成している人が聖書の知識を持っているからかもしれないが、かなり 聖書の知識を前提として作成されている物があるように思える場合がある。

単純にマニュアルとかの語句がそうした物から引用されているから印象的って だけなのかもしれないが。。

とても一神教的思想の元に多くのプログラム言語が作成されているように感じ る。

それは誤解ではなく真実なのだが、、あまり強く言いたくない。。

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自らを記号化する技術

自分をいかに記号化するかは重要である。記号的であればあるほど人の印象に 残る。ただしあまりに単純な記号だと忘れられてしまう。

そこには常にバランスが必要なのは当然ではある。

記号的とはいかなる事か。それは単に自分と言う物を一つ演じると言う事にす ぎない。

それは見せたい自分でない場合も多い。しかし最も見やすい角度で見せるのが 人を魅せる最重要な部分なのだ。

自らを記号化する場合重要なのは、極力従来の記号と重ならない事である。人 は常に新しい物に慣れる物であり、古い物はすでに知っていて飽きている。

今までに無い記号でなければならない。

ではその記号はどうやってさがすのか。

見付方はそれほど難しくはないのだが、なかなか気づかない物だ。

とりあえずやり方がわかり、その新な記号を見付けたら、自分がその記号に嵌 れるかどうかのみが残る。

ほとんどの人はおそらくその記号に嵌れない。

人は人を演じるのでさえ、能力が求められる。

ただ人である、と言う事を他者に知らしめるだけでも、重大なのだ。

ただ普通に人である、そういった事が大変な事なのだと本当に実感するには、 何を知れば良いのだろう。

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プログラムをするのに知らないといけない最低限の知識

基礎になる知識が非常に多いと言う事を実感している。

コンピュータと言う物その物が非常に知識を必要とする物だからかもしれない。

と言ってもそれほど難しい事があるわけではないのだが、なぜかそれ以前の知 識が無いために大変になっているようだ。

世の中の事を普通に知るためには、小中学レベルの学問は普通に終了している 必要がある。

しかし、ちゃんと知らない人が結構いるって事にはいつも驚く。どうしてこう なるのだろう?

仕方の無い部分もあるのだろうけど。。授業を下のレベルに合せるからいけな いのではないかと思う事がある。

無理やり引っ張っていけばなんとかなるのでは、、などと思うが、そういうわ けにもいかないのだろうか。

とにかく基礎が不足している人が本当に多い。その基礎をどうやって教えるか、 どうやって学ぶか、そういった事が本当に難しい。

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寒すぎる、、、

極端に寒い。部屋に暖房入れてるけどあったかくならない。。。

なんかさらに寒くなるって話しもあるんだが、、こまった。

カルチャーショック

不等号の意味を質問された。。哲学的とか数学的な深い質問でなくて、本当に 記号の意味がわからなかったみたい。かなりカルチャーショックだった。

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論理学、代数学、集合論

コンピュータというかプログラムを始めるのに必須の知識。とりあえずこれが わかっていれば本当に簡単な事はなんとかなる。

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コミュニケーション能力の採点は可能か

可能である、が結論。

時々コミュニケーション能力というのは主観的な問題で、その場で力ある人物 にとって分りやすいか否かによってのみしか判定可能でないとする立場の人を 見る事がある。

これは限られた事象なのかもしれないが、、やや気になる。

コミュニケーション能力が主観に基づく事はない。

ではどのようにコミュニケーション能力を客観的に判定するのか。

最も簡単なのは確固とした事実を説明させれば良い。一番簡単なのが道案内で ある。

ある程度条件を限定する必要があるが、ある場所からある場所への経路は変更 不可能である。

道案内のやり方でどの程度抽象化が可能か、というのがポイントである。

これに関しては計算式で抽象化度を計算する事が可能となっている。

抽象度が高すぎるのも低すぎるのもコミュニケーション能力が低いとされる。

適切な抽象度を選択できた場合のみコミュニケーション能力が十分にあると認 める事が可能だ。

ただ、これは前提となる事項がある。コミュニケーション能力を抽象説明能力 であるとしている点である。これは定義上の問題であり、そもそも前提が異な ればまた結論は異なる事になる。

コミュニケーションとは何か、と言う事になってしまう。

コミュニケーションとは相手に伝わる事であり、相手に伝わるとはイメージを 喚起する事ができたかと言うことである。

アリストテレスは人は結局イメージで思考していると言ったが、まさにその通 りで、イメージが喚起できた事を持ってコミュニケーションの完了とするのが 適切だ。

そしてイメージとはまさに抽象概念にすぎない。

一つの画を言葉にできるか、それがコミュニケーション能力と言う事だ。

つまり言語の画家としての能力が問われている。

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頭で考えるだけなのはだめ

頭ばっかりで考えるから意味ない物になる。創らないとだめ。

いかに創るかだけど、とにかく創れって事以外ない。

創れるか創れないかは単に基礎体力の違い。基礎体力は改造とか移植とかで培 う物。

改造、移植するにはソース読める必要がある。

とにかく探究心ですね。

創る力がないとどうにもならない。

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