可能である、が結論。
時々コミュニケーション能力というのは主観的な問題で、その場で力ある人物
にとって分りやすいか否かによってのみしか判定可能でないとする立場の人を
見る事がある。
これは限られた事象なのかもしれないが、、やや気になる。
コミュニケーション能力が主観に基づく事はない。
ではどのようにコミュニケーション能力を客観的に判定するのか。
最も簡単なのは確固とした事実を説明させれば良い。一番簡単なのが道案内で
ある。
ある程度条件を限定する必要があるが、ある場所からある場所への経路は変更
不可能である。
道案内のやり方でどの程度抽象化が可能か、というのがポイントである。
これに関しては計算式で抽象化度を計算する事が可能となっている。
抽象度が高すぎるのも低すぎるのもコミュニケーション能力が低いとされる。
適切な抽象度を選択できた場合のみコミュニケーション能力が十分にあると認
める事が可能だ。
ただ、これは前提となる事項がある。コミュニケーション能力を抽象説明能力
であるとしている点である。これは定義上の問題であり、そもそも前提が異な
ればまた結論は異なる事になる。
コミュニケーションとは何か、と言う事になってしまう。
コミュニケーションとは相手に伝わる事であり、相手に伝わるとはイメージを
喚起する事ができたかと言うことである。
アリストテレスは人は結局イメージで思考していると言ったが、まさにその通
りで、イメージが喚起できた事を持ってコミュニケーションの完了とするのが
適切だ。
そしてイメージとはまさに抽象概念にすぎない。
一つの画を言葉にできるか、それがコミュニケーション能力と言う事だ。
つまり言語の画家としての能力が問われている。