< 2006年02月 >
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知識が無いと真実は分らない

でもどうにかして知識を簡単に伝えられた方が良いし、伝えられない方にも落 ち度があるようにも感じる。

ただ、相当量の知識を前提としないと「正しい」という判断その物ができない のではないかと思われる。

「正しい」事を知りたいと言う意欲がなければ知識は吸収しないが、今が正し くないと判断しないとそういう意欲はわかない気もする。

そして今が正しくないと感じるにはやはり相当量の知識がいる。ジレンマなの ではないか?

強制的に知識を与えると体育会系だと言われる。でも知識を得はじめると、つ いにはどの時点かは不明だが、今やっている事が正しいのだと分る瞬間がある ようだ。

また正しくないと言う事もわかってしまうのだが。

その時点までいかに短期間に至るかが人間の資質にかかわる問題のように思う。

そして、その資質には明らかな差がある。

人間には差があるのである。それはあまりにもはっきりしている。

ただ、一定量の知識は与えるべきだろう。どうやってやるのが正しいのかは良 くわからないのだけど。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
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