< 2006年02月 >
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愛される事、愛する事への恐怖

日記、blogにしても書くと言う事は人にもしかしたら知られる事である。そし て知られると言う事は好かれたり、嫌われたりする可能性があると言う事であ る。

好かれるにしても、嫌われるにしても、それは愛されると言う事を意味している。

愛される事は恐い。

人から何か興味を持たれるって事は本当に恐いのだ。

そして人を愛する事も恐い。

しかし無視される事も同時に恐いのだ。

ジレンマ。

結局真実を書かず、わかってもらえる人にだけわかってもらおうとする。

でもそれは無視される事になる。きっとだれかがわかってくれるだろうと妄想しながら。

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新しい事と古い事を組みあわせる

新しい事をやるのに新しい知識だけを組みあわせてはできない。古い知識が絶 対に必要。

と言うか、古い知識が当り前にある前提での新しい知識。

よって新たな物事を開発するには古い事をかなり知らないといけない。

常に当りまえの前提ってのは大量にある物なのだ。

だから、いかに大量の古い事を知っているか。それが重要。

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所有欲との闘争

ERPパッケージを導入する場合、ほとんどの日本企業は大量にカスタマイズ入れ ているのが現状のようだ。

ERPパッケージは本来自己の業務に合せたパッケージを購入する物だから普通カ スタマイズしない方がよい。と言うかカスタマイズ入れたらパッケージ導入の 意味が薄れる。独自開発の方が良いんでないか?って事態になる。

ERPに限らずパッケージ入れているのに実はほとんど独自にカスタマイズしてい たりって会社は結構多いらしい。

これって所有欲の問題だと感じる。

日本企業は経理や人事のやり方を独自のやり方をする事で企業色を出す傾向に あるように感じる。

どの会社にいっても全部違うやり方してたりしやがる。

制度の所有欲なんではないか。と言うかそれぐらいしか独自色出せないのかも しれないないが。。

所有欲ってのは病理だ。別に自分で持っている必要がなくても持ちたいって思 う病気。この性で無駄に金がかかっているって事に気づくべきだろう。

いかにこの所有欲と闘争すべきか。どうやって所有欲を騙すかが重要。

わたしこれからはASP(Application Service Provider)の時代だと思っている。

ASPって事は自社にパッケージ保有しないって事。つまり所有欲が満されない事 態になってしまう。だから所有欲を抑制すると言うか、所有している幻想を維 持させる方策が必要になるのではないだろうか。

幻想で良いので保有している気にさせればよい。どうやればそういう幻想を保 持させる事ができるのか、難しそうで意外と結構簡単にできそうな感じだがこ こがポイントになる気がしている。

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ITビジネスのライバルは無知

ITビジネスにおける最大のライバルは無知である。無知は想像力の欠如をもた らす。

無知によって何もしない、知らない事は触らないに限るという事態が発生する。

mixiを知っている人がどの程度いるのか?

はてなを知っている人がどの程度いるのか?

わたしの会社の人で両方を知っている人は両手で足りる可能性がある。従業員100人ぐらいだが。

ほとんどの人はネットのサービスなんて知らないのである。Yahooを知っている とかなり良い方ではないか?

いったいネットで何をやっているかと言えばいったい何をやっているのだろう? メールの交換ぐらいか。

たいして使ってないってのが本当だろう。たしして使ってない物にとって20万 程度のPCは高い。だからPCはもうこれ以上売れない。

もしITビジネスをさらに売上を上げたければ教育をセットにする必要がる。

それも某PC教育会社みたいに授業受けても意味ないようなのではだめだ。本当 に意味のある教育でなければならない。

教育を同時におこなえるITサービス。これが求められている。

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世界と言語

言語は他者との架け橋。言語無しでは世界と対話する事はできない。

世界とは他者あっての物である。

言語の限界が思考の限界であり、思考の限界が世界の限界となる。

わたしは時々、会話できない人と出逢う事がある。会話ができないとは関係が 把握できないと言う事。

関係が把握できないとは主語を付加した言葉が話せないと言う事です。

その人の書く文章に「私は」「私が」「私の」「私を」「私に」のいずれかを 主語として入れてもらうとまったく入れられない人が本当にいる。

そして増えているような気がする。

自分が一体どこに立っているのか、どんな立場でいたいのか決定できない。

そんな人が多い。

そういった人は10台後半から20台前半と40台近辺に大量にいるような気配。

どうも教育と言うのはもう一回やりなおさないといけない世代が大量にいるよ うだ。

言語の重要性を踏まえた教育カリュキュラムを採用し、再教育を行なうべきだ ろう。

わたしは、そういった未来を見ている。そしてそうった教育をする体制を構築 する努力をしたいと思う。

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ちょっと気合入れてきた

そこそこの肉くってきた。もっと高級な肉が食べたかったのだが、ちゅと妥協 した(^_^;;

いや、、いまどき気合入れるのに肉食うってのもどうかと思うがね。。貧乏み たいだし。でもおもしろいので良しとしよう。

沢山の動機を持つ事の重要性

物事をやる時に動機は多ければ多いほど良い。純粋な動機なんて物は存在しな い。

ぼくは物事やる時いろんな動機がある。本当に複雑に大量の動機の元にやっている。

宗教的であったり、有名になりたいだけだったり、人に勝りたいだけだったり、 人の役に立ちたいだけだったり、本当に沢山の動機がある。

まあ、最終的には他人の評価によって物事は成立する。

だから、最後は社会的な評価の元でぼくの動機は確定するのだろう。

ぼくは社会と他人の中にだけある。ここにはない。

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自分のライバルな誰?何?いったい何と競争しているのか

ライバルはいますか?敵はいますか?

もしいないなら、競争はしていますか?競っていますか?

もし努力しているならそれはいったい何のため?

ライバルや敵がいるのはある意味幸福な事なのかもしれない。それは自分のやっ ている事がわかっていると言う事だと思う。

自分のやっている事と対立する人を認識できるって事は自分のやっている事を 邪魔する対象が明確って事だから。

ライバルがいないってのは単にライバルを無視しているのかもしれない。自分 のやっている事が独自だって自信がある場合はそう言う人が多い。

でも本当に独自の事なんて本当はなくて、絶対にライバルはあるはず。

ポイントはライバルを認識して、ライバルと競争してはいけないと言う事だ。

ライバルと競争しない方法を考える。それがポイントだと思う。

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自らが無能である事を確認しつづけなければならない

人は自分が何において無能なのかを痛みを共ないながらも確認しつづけないと いけない。そうしないと成長しないから。

自分が無能である事を認めるのは実際の所つらいのだが、仕方がない。

自分が無能である事は仕方がないと考え、その無能部分をいかに補足するかを 考慮しなければならない。

自分が無能であるならば有能な人材をいかに自分よりも上にするかに心血をそ そぐべきである。

邪魔をしてはいけない。

まず、自分が何において無能なのかを知るべきである。そうする事がすべての 始まりである。

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知識が無いと真実は分らない

でもどうにかして知識を簡単に伝えられた方が良いし、伝えられない方にも落 ち度があるようにも感じる。

ただ、相当量の知識を前提としないと「正しい」という判断その物ができない のではないかと思われる。

「正しい」事を知りたいと言う意欲がなければ知識は吸収しないが、今が正し くないと判断しないとそういう意欲はわかない気もする。

そして今が正しくないと感じるにはやはり相当量の知識がいる。ジレンマなの ではないか?

強制的に知識を与えると体育会系だと言われる。でも知識を得はじめると、つ いにはどの時点かは不明だが、今やっている事が正しいのだと分る瞬間がある ようだ。

また正しくないと言う事もわかってしまうのだが。

その時点までいかに短期間に至るかが人間の資質にかかわる問題のように思う。

そして、その資質には明らかな差がある。

人間には差があるのである。それはあまりにもはっきりしている。

ただ、一定量の知識は与えるべきだろう。どうやってやるのが正しいのかは良 くわからないのだけど。

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やっぱり作った方が早い

ドキュメントは確かに作成するけど、結局テストケース作成した方が早い感じ。 結局ドキュメントって実装との差異が大きすぎてほとんど役にたってない。気 休め程度にしかなってないような。

多人数で開発する時には実装方法を示すって意味のドキュメント以外あまり見 てないのではないかな。。

そういう実装方法を示すドキュメントならWikiなりに纏めて動的に管理した方 が便利な感じ。

結局ソース読めない人を安心させるための手段でしかないんだよね。。ドキュ メントって。

全部ソースで良いじゃんと思う事が多い。

まあ実装前に多少頭整理するのは必要なんだけど。。

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