< 2004年09月 >
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宗教を持つにいたる道

宗教を持つにはそれなりの理由とかがあるものです。ぼくの場合は宗教を保持 したのは大学の半ばあたりでした。

それ以前から宗教の知識はあったのですが、保持していたわけではありません。 単に知っていたに過ぎないのです。

大学の時ちょっと一瞬ですが行方不明になった事があります。まあ自分にとっ ては行方不明でもなんでもないのですが、周囲からすれば行方不明ですね。そ れ以後から宗教を持つ方向に向かっていったのです。

宗教を持つという事は宗教を理解しようとする事です。すでに理解しているな らぼくにとってそれは宗教ではありません。理解できていない事への探究がぼ くにとっての宗教です。

これは単純にしすぎているけれど、自分の宗教の教義を具体的にしめさないた めに最も良い説明です。

そんなに宗教を持つという事は単純な事ではないのですが、説明はかなり困難 を極めます。ぼくの言葉はぼくの言葉であり、他人の言葉ではないためです。

理解できない、という事を理解する事から初まります。

小さい頃、自分は異常だと思っていました。でも実際は選らばれて異常なわけ ではないのです。普通の異常だっただけです。皆異常なのです。皆と同じに異 常であっただけです。自分だけが異常に見えるのは、それは他者の言語が自分 の言語と違うから理解できないだけという事です。

多少は選民的思想を持った人は多いのではないでしょうか?まったく持たない で成長する事はないと思います。選民的思想は基本的に自閉的な傾向から生れ る場合が多いようですが、子供はだれしも自閉的な時期があるからです。

自分は捨て子でどこかに別の親がいるという思想や、自分は宇宙から来たとか、 いつの日か選択されるという思想などは自閉的な世界観と見る事ができます。

これを問題とは思いません。これが自閉的である自覚がありながらもそれをまっ とうしようとするのもありだと思います。

だた、ぼくはそういう方向ではなかったという事です。この方向性から逃れよ うとした時に宗教を持つにいたったのです。より深い意味を探るための自分の 意思を理解するために。

宗教というのは盲目を求めるものであってはいけないと思います。それは目を 開くための一つの道標であるべきです。

宗教を持つという事は宗教を理解するために人生を生きる事を選択したとう事 ですが、それほど単純であるなら宗教を持つ事はないのかもしれません。

書いていて意味不明だとわかっているのだが、、自分で今書くべき事を書けな いのは結構苦悩する。

ウィトゲンシュタイン

ヴィトゲンシュタインとも記述するが基本的にぼくはウィトゲンシュタインの 方で記述する。

天才です。

本当にすごすぎます。

ウィトゲンシュタインを理解する事ができない事を理解しました。

すさまじいいです。天才というのはこういう物なのだな、、と思います。

この日記はいやがらせです(笑

ぼくの日記をまじめに読む人へのいやがらせになっていますな。

まじめに読んでいる人がいるとは思えないが。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
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