ぼく独りの存在価値
ぼくが存在している事に大き意味はありません。当然その死も意味は存在し ない事になります。
しかし、それはあくまで独りであった場合です。少なくとも多数になった時点 でそれに意味が発生します。そこが人間の存在その物にある価値だと思ってい ます。
当然これは人間のみに言える事なのではなく、生命すべてにあてはまる事です。
個人の存在価値を高める場合、その個人しかできない事があり、周囲に価値を 持たらすならば、存在の価値が大きいと認識される場合が多いように感じます。 しかし、それだけでは不十分だと思っています。
いかに自分の存在価値を低下する事ができるかの努力も必要と感じています。 個人の存在価値を高めたら、今度は自分の存在価値を低下させる努力が必要に なるという事です。
自分しかできない事、自分しか知らない事を減らす努力をする事で存在価値を 低下させるのです。そのためには事前に情報の開示が必要と考えます。
情報を開示する時に重要なのは成功だけでなく、失敗も公開する事です。また、 経過を開示する事が非常に重要となります。
失敗は、同じ失敗を繰り返さないために必要ですし、失敗の情報を蓄積する事 で、人間がどこで失敗しやすいかがわかる場合があるからです。
経過の開示はソースコードであればCVSなどを利用する事になるのですが、人間 の行動だけの場合は日記などでも良いかもしれません。
経過の開示はどのようにその結論にいたったのか、がわかります。物事がそう なっているのはそうなったからです。しかし、なぜそうなったかを知る事は不 毛な事ではありません。同じレシビを利用すると、同じ料理が作成される事が ほとんどです。同じ料理を作成する事、もしくは同じ料理にならない方法を知 る必要が時には必要です。
ただし情報を開示した後にも問題はあります。歴史は常に歴史から物事を学べ る事をおしえてくれます。しかし本当に歴史から物事を学ぶ人間がごく少数し かいないという事実があります。どのようにして、開示した情報を有効に利用 してもらうかを考慮する必要もあります。
このあたりが負荷なく自然にできるためにツール類を整備する必要があるかも しれません。blogがひろがったのはこのあたりでも少しは価値を産みだすかも しれません。
Texinfo近似フォーマットで書けるblogがあったらな
HNFのフォーマットは実の所微妙に書きずらい。
Texinfoに結構慣れている性かもしれないが、、チルダを書いても改行の時空白 入れておく方が好きかもしれない。
なんかのblogツールのプラグインとして作成するとおもしろいかも。