基本はオタク
なんですよね。ただ、それを専門にして自分の得意分野から収入を得る事がで きればまあプロになる道があるって感じ。
ぼくは完全にパソコンオタクで、アヤシイ事オタクですが、おもしろければい いんですよ。
あとはやっている事に社会的な意味があるかってのは重要か。社会的な意味を 考慮しているかいないかが、ただのオタクか専門家かの違いだと思っておこう。
CCCD
どうしても購入したいCDがあったがCCCDだった。Mac使いなのでそれほど気にせ ず購入してしまった。
CCCDはさすがにそのままでは普通の機器には入れたくない。保持してる機器は 古いの多いしね。ほげらったして聞く。
しかしひさしぶりに買った気がする。。日本人のCD。
ぼくが死亡した場合の確認方法と対処
この日記は生存報告なわけです。
ではなんらかの理由でぼくが死亡した場合はこの日記はどうなるかというと現 状ではおそらく放置されてしまいます。
死体は放置されないような対処がされていますが、パソコン関連の対策はあま りしていないためです。これは単純にぼくの手抜きです。
死亡への対処としては、常に身分証明書を携帯する事で路上等で死亡した場合 も身分が判明するようにしています。本当にちょっとの出歩きでも身分証明書 を携帯している状態。
また、家で死亡した場合は、夏であればこの日記が1週間以上更新されないと確 認連絡。連絡つかずに2週間以上だと家に確認にこられます。
期間は冬だとちょっとのびますが基本は変更ありません。
このあたりは一人ぐらしを積極的に選択している人間の対策としては重要です。
ちょっとおかしいと思われるかもしれませんが、死は常に身近な物ですし、対 策ぐらいは取るべきです。まあぼくの場合は多分に宗教的な問題で行なってい るのですが。。
最近はパソコン関連に関してもなんらかの対処を必要と感じています。ぼ くが死亡する事にそれほど重要な意味はありません。しかし死亡より約1ヶ月 (四十五日)が問題です。この期間は特に周囲に迷惑をかける率が高くなります。 それを過ぎると通常死の持つ意味は薄れてしまいます。あとは思い出を持ちた い人が持てば良いだけで、普通の人間にとって死はほぼ無意味化します。
影響を薄くするには速度が重要になります。その意味でパソコン関連を利用す ると対処が早くなります。
このような事は以前から考慮していたのですがぼくが MacEmacs JP Project な どを運営しているため、より重要になったという事です。
ぼくの死亡が MacEmacs JP Project に与える影響はたんに運営がされなくなる だけです。が、参加者の方にとっては迷惑でしょう。死亡時にはすみやかな権 限の委譲を行なえる体制にするのも良いかもしれません。また事前に権限をあ る程度分散しておくという方法もあります。
ただし、この場合どうしても相手に義務をかしてしまう事が問題です。できれ ば自分の行動によって他者に義務を課したくないのですが。。。
ぼくの存在や死そのものには意味はありませんが、プロジェクトが保持する情 報、およびプロジェクトに関係する人的資源、そしてその人的資源と情報によ る将来への可能性、それらは大変に重要です。
永続性を保証する必要があります。ただし永続性の保証にはある程度時間がか かるという問題があります。どのようにこれをおこなっていくか。むずかしい 問題です。
死亡の確認ですが、日記が予告なく1ヶ月以上更新されない場合は確実に何か問 題が発生しています。また3ヶ月以上になるとすでに死亡している率が高いです。
さらに詳細に確認する方法は用意する必要があるかもしれないですね。。 さてその場合の対処ですが、別に他人が対処する事ってありますかね。。
MacEmacs JP Project と PyJUG および参加しているオープンソースプロジェク トぐらいには連絡するような手法を構築しておくべきですかね。
まだこのあたりは考慮中。
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