< 2004年09月 >
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異常性とおりあう

ぼくは自分に異常性がある事は認識しています。会社の中にいる場合、周囲の 人間は意外とぼくの行動や言動に慣れてしまっているので、異常性をそれほど 注目しないようです。かえってその異常性がぼくの特色として理解されている ようです。その異常性があるから、こういった技術方面の人間なのだという理 解になっているのかもしれないです。

ただ外部の人間と接触すると時分の異常性が結構うきぼりになる場合がありま す。かなり自分が変であるのだな、、と自覚するというか。

ほとんどの原因は言語上の問題なのだと思います。ぼくは他人に前提なしに物 事を語る場合が結構あります。ぼくの持つ前提ってのが、かなり人文系の知識 であったりするため普通には理解されない事柄である場合が多いですし、あと 説明が下手というのもある。

宗教や哲学を前提とした会話ってのはかなりわかりずらいでしょうな。。

その異常性を知りながら、外部との会話をする場合に十分に注意をはらうとい う事が必要になります。

自覚をもって、それをそうやって有効に活用するかが必要です。自分は自分で しかないので、理解した上で、それをどう活用するかを考えた方が良いと思っ ています。

興味の持続

最近は新しい事への興味はあるが、新しい事を知ったからといって必ずしもた めしてみようとは思わなくなってきた。

昔は新しいプログラミング言語をみつけると端から試していたのだが、文法定 義と仕様をながめて、よほと新規の思想がないとためさない。

そういう事をしているとめったな事では新規な物にでくわさなくなってしまう。 ほとんどの物事ってのは新規な物ってのはほとんどなくて、普通は既存の物の 組合せの妙である場合がほとんどだからです。

やはり自分で作成する時期なのかな、、自分で作成できないわけでないだろう が、意欲の問題もある。どうやって動機を維持するかが最大の問題なのだろう か。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
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