< 2004年09月 >
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哲学は根源を求めるなら必要です

デカルトはすばらしい。ウィトゲンシュタインは読むべきです。

プログラムをしていて、その根源を求めるなら哲学を知る事は必要です。本当 に根源を求める場合は何事も哲学に到達してしまう可能性を持っているのです が。

デカルトに関しては批判すべき点も多いのですが、物事を考える基礎として非 常に重要です。

ぼくは自分の宗教が理解できていないと常に感じています。より理解するため に哲学書を読み、それに簡易に註釈を付ける事で、自己の宗教への理解を深め るという事をします。註釈は自分の今の現状を強く表現します。哲学は思考の 種です。思考の道具です。

常に思考こそが自己の方向を決定していくのです。

なぜPythonなのか

ぼくは時々この質問を受けます。回答はだいたい決まています。

「それ以外はあんま頭良くなくて理解できなかったから」

これってPython使いに多い回答なのでしょうか?いままで会ったPython 使いで Pythonしか利用した事ないって人にはまだ会った事ないです。始めてのプログ ラム言語がPythonって人はいましたが、その人はPythonやりながらJava とか他 の言語を同時にやってました。

どうも比較により学ぶ事も多いようです。

Python以外は思考の速度にコーディングがついてこないのが苦痛。Schemeはま だましだけど、その他の言語は書くまでにそうとう考えないとダメだ。

単にぼくの性質の問題なのかもしれないけどね。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
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