データを蓄積し、広く公開し、さらに開発可能にする事
自動的にデータが蓄積されるようにしないといけない。であれば最初はいかに 簡単に蓄積できるかが重要と言う事だ。
蓄積できると同時に広く公開されている事が示されていないといけない。
蓄積してから公開しようでなく、最初から公開する事を前提としないといねか い。
そしてかってに開発できる事も最初から確保しておかないといけない。
どうやれば良いか。べつにアイデアの問題でなくて実行力の問題。
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自動的にデータが蓄積されるようにしないといけない。であれば最初はいかに 簡単に蓄積できるかが重要と言う事だ。
蓄積できると同時に広く公開されている事が示されていないといけない。
蓄積してから公開しようでなく、最初から公開する事を前提としないといねか い。
そしてかってに開発できる事も最初から確保しておかないといけない。
どうやれば良いか。べつにアイデアの問題でなくて実行力の問題。
ぼくには欲望ってものが希薄なのだと思う。ただ一つの事をただはてしなく継 続する事が一番簡単という正確によって現在の作業が行なわれているとしか思 えない。
それは一度やりだすと同じ事しかできないという制限も同時に産んでいるよう に感じる。変化を嫌う傾向が強い。
物事をやれば常に変化すべきだし、発展すべきなのだが、現状を維持するため の努力をはてしなくする傾向にある。
現状維持というのは実はとても大変な事なのだと思われる。発展するか、後退 するかそのどちらかの方がよりよいのかもしれない。
少人数教育が良いと通常思われているのかもしれない。10人以下、もっとよけ れば1対1の教育がすぐれていると思われているような。
教育している人間からすると、たしかに、授業を受ける方のレベルがある一定 の水準を越えている場合は少人数教育の方が効率が良いのは確かだが、多人数 教育とそれほど差があるようには感じない。
圧倒的に差が出るなら良いのだが、ほとんど差がないとしか思えない。
これはやり方の問題なのかな?
しかし、いろいろ改善を加えて来た結果としては、本当に少人数にする意味が 見いだせないでいる。
現状もっている資料だけで統計すると少人数に教育をするより多人数に教育を した方が水準は良くなる傾向にある。
多人数だと必然的に競争が発生し、切磋琢磨が発生するのがとても良いという 感じだ。
自分の学習が遅れているのか進んでいるのかも一目瞭然だしね。
凹む人はたしかにいるのだけど、それは一人で教育してもどうせ凹むのであま り変りないと思われる。
という事で今の結論はなるべく多人数に具体的な教育をすべき、と言うことに なっている。
今日はかなり暑い。体力消耗した。これで明日は涼しいらしいから、体調は本 当に気をつけないといけないな。
全部に全力投球していたら死ぬ。限界はあるのだからちゃんと優先順位を付けないとけない。
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