< 2005年11月 >
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想像力は鍛える事ができるのか

創造するには想像力が絶対に必要だ。未来を想像できない人に、物を作成する 事などできないだろう。

セキュリティ関連にしても危険への想像ができないならば絶対に安全は守れないだろう。

想像力はどうやれば鍛える事ができるだろうか。

わたしは初期携帯電話が出た時にかなりいろんなパターンの未来を想像して喜 んでいた記憶がある。iPodにしてもいろんな想像がはたらく。

ただわたしの場合は想像力が強すぎるのか、妄想的と言われるまでの想像をす る事まであるのがたまに傷かもしれない。まあ、他人の一つの発言から物語を 作成してしまったりするからだけど。

何にしてもいきすぎない程度の想像力は必要だろう。

さてどうやってこの想像力は鍛えられてきたのだろうか。。

まずは多くの経験によって想像力が支えれている事は事実かもしれない。わた しは学生時代、様々な事をしてきた。悪い事も良い事もやった。そういった経 験が想像力の源になっている。

もう一つは読書だろうか。SFやファンタジー小説にかぎらず私小説など、極力 リアルな物が良いのかもしれない。擬似経験が得られる。

今なやんでいるのはこれ以外の方法がない物だろうか、と言う事だ。

想像力が必要と言う事がそもそも想像できない人が多い。なぜ想像力が必要な のか理解できない人が多い。そんなように感じる。

すくなくとも想像力が必要である事だけでも想像できる範囲の想像力を短期間 に付ける事はできないだろうか。

Author: sakito Category: /diary/2005 Permalink: Permalink
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