明日は選挙
朝に投票に行ってから買物とかに行く予定。
今日は政治系の本でも読んでさっさと寝ようと思います。
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朝に投票に行ってから買物とかに行く予定。
今日は政治系の本でも読んでさっさと寝ようと思います。
印象操作は嘘も沢山言えば本当になる、という現象を利用した物です。
印象の操作は情報の収集能力がある人間ならばそれなりに労力をかければ意外 と簡単にできます。
印象操作の場合それから逃れるのが容易でない物もあります。
それは調査が難しい物の印象を操作された場合です。
しかしほとんどの物はちょっと調べればわかるはずなのです。調べないから印 象が操作される。
印象が操作されている、という認識を常に持ち、思い込みを排除すべきです。
そうしないと本当に危険です。
実際は知っている事を組み合せているだけです。それを考えていると言うのか もしれないですが、0から作成しているわけではないです。
組合せる元となる知識がなければ決して思考する事は不可能です。
その意味で人間は考える物ではなく記憶する物なのだと思います。
そして記憶は言語として記憶されている。
人間の利用する言語が極大言語である事からあらゆるデータを情報として記憶 する事が可能になっているのでしょう。
能力とはすなわち言語の能力その物なのではないかと思います。
その意味で言語能力その物が考える力と言う事になるのかもしれません。
大きな問題は常にメモしておかなければならない。またメモした問題は機会を 得て分解し、小さな問題にしていかなければならない。
問題の分解能力が人間の成長能力の決めてになる。
結局その問題がいかなる問題により構成されているのかを考える事が正常にで きるかがボイント。
単にそれは論理能力にすぎないのかもしれないが、問題を冷静に分析する能力 は、論理能力だけではないようにも感じる。
人の能力を正常に評価するために、この能力を正常に量る方法があると良いの だが、とずっと考えている。
まだまだ問題が分解しきれていないのかもしれない。
知的体力は明きらかに本当の体力に依存している。
疲れると考える能力も低下してしまう。
やはり普通に毎日こつこつ体力をつけるしかない模様。
狂気と共存するのが必要な場合は、まず自分が狂気を持っている事を認める事 だ。
認める事ができたら、だいたいは共存が可能になる。
認めたとしても耐えられるかどうかは別の問題かもしれない。
もし耐えられないなら、宗教を持てば良い。
どのような宗教でも良いが、なるべく歴史の長い宗教が良い。100年とか200年 とかの単位で存続している宗教でなければならない。
そういう宗教は作成した人間がほぼ狂気と共存した人間であるので、狂気と共 存するには最も適した形態を成している。
狂気から逃れる事は不可能だ。よって狂気の淵を臨みながら、生きるしかない。
行動できなければ意味がない。
ほとんどの人は現状が問題である事に気づく。しかし、どうやればその現状を 解決できるか知らない場合がほとんどだ。
物事を変革するには絶対に行動が必要だ。ほっておけば時間が解決する、なん て事象は数えるほどしかない。
ほっておく事は問題の露見が先延しされるだけであり、絶対に問題が解決され たわけではない。もっと大きく育つのを待つ事に等しい。
先延しすればするほど問題の解決は難しくなる。
問題を解決するには問題をどう分解すれば良いかを考える知識が必要だ。ブレ イクダウンさせる。
問題をブレイクダウンさせるには問題を構成している要素をすべて知る必要が ある。
構成要素は問題発生時期に近いほど、単純な要素で構成されている率が高い。
最初から複雑な問題なんて物は存在しないのである。
問題分析には一部には知識が必要だが、ほとんどの場合、行動が絶対に必要に なる。
実行力のみが問題を解決する唯一の方法だ。
ただ行動せよ。ひたすらに。そして行動を裏つける知識もたえず捜せ。ただそ ういう事だとおもう。
学びと行動が必要な事に気づくには、自分が無知である事を知る事から始めな ければならないのだと思う。
それが一番難しいのかもしれない。
結局筆記具はボールペンを利用している。
ぼくは残念ならが不器用と言うより指が不自由なので、重いペンは利用できな い。
ペンにこだわるならいきつくのはLAMYだが、ぼくはあの手の金属性や重みのあ るペンは持っていられないで落してしまう。
いかに軽く持ちやすいかが重要。よってペンはプラスチック性程度しか選択肢 はない。
次にぼくは筆圧が非常に強い。これはペンを特殊な力加減で書いているせいだ。 異常と言えるほどに筆圧が高い。
よって鉛筆は絶対だめだし、シャープペンシルだと芯が折れる。
上記より選択肢は、プラスチック性のボールペンしかないと言う事になる。
あとは持ちやすさ。
これは手がちょっとずつ変化するので、いつも迷う。
とりあえず、今は便利さのためにトンボ鉛筆社の3色ボールペンを利用している。
しばらく利用してみるが、書きやすさは慣れもあるからまだ良くわからない。 あとは筆圧に耐えられるかがちょっと心配。
芯先がつぶれそうな気がする。。。
最初は考えさせても無駄。具体的に指示してやる。そうしないとできない。
やるべき方法を具体的にしめさないとできるわけない。
そういう事を教えるのが教育という物だ。
あとは相手が気づくまでまつ。ひたすらまつ。まつ事が教育の本質である。
歳入が40兆。歳出が80兆。毎年借入40兆。
これがやばくなくて何がやばいと言うのか。
今まで日本は20%の弱者に配慮して、80%の強者に我慢してもらい、両者に同じ 条件で生活してもらう社会構造になっていた。
しかしもうその状態を維持するのは無理だ。
弱者には弱者なりのサービスしか維持できなくなっている。
そもそもほとんどの弱者は我儘によって弱者になっている場合が多い。
例えば過疎地に住んでいる人は、住居移転のサービスが何度か提供されても移 住しない人がほとんど。
就職困難者は、住職斡旋や教育サービスを拒否している人がほとんど。
意味不明。
そういった我儘な人たちの為に多くの従順な国民が割を食うのはこまる。
こんごは、多くの方に合せ、少数者には少しだけ我慢してもらう事態がどんど ん増加する事は確実だろう。
そうしなければ、全ての日本人が生きていけない社会が来るだけだ。。
わたしも自分は一部で弱者である。本当に無駄であれば退く覚悟ぐらいはある。
日本に対して結構愛国心があるのですよ、これでも。
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