< 2005年12月 >
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何をやれば良いのか知っていてもやらないなら意味がない

知識は絶対に必要だ。そして、目標も必要だ。その両方があってもかつ行動し ない原因はいったい何だろう。

失敗への恐れなのだろうか。それとも知識の不足を感じるからだろうか。完璧 主義だからだろうか。

何か原因があるのだろう。

失敗への恐れが大きい気がする。

失敗を許す事をしない人が多すぎるのだろうか。

どうせ人は失敗なしでは成長などしないのに、失敗を許す事がないのは問題だ。

しかし失敗を許すにしても対処する方法が用意されていないのがさらに問題な のかもしれない。

失敗を許さないから、失敗への対処がなされず、そして失敗が発生すると取り 換えしがつかなくなる。

まず、「不幸な現実」を認める所からはじめるべきなのかもしれない。

現実は確実に不幸にできているし、絶対に成功はしていない。しかし、それを 認めてしまうべきだ。そこから全てが始まるのではないだろうか。

努力は無能の証明なのか

努力その物を恐れる人がいる。努力して自身の無能を証明するなら努力しない で無能なままが良いのだと言う。

意図した無能。操作可能な無能。その方が安心するのだろうか。

目標を作成しないのもこの一つだろうか。

ただ、自分が無能かもと思う時点であまり成功はしないのかもしれない、とも思う。

Author: sakito Category: /diary/2005 Permalink: Permalink
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