一人でないと信じるには孤独でないとならない
自分が他者と共にある、と本気で信じるには孤独でないといけない。なぜなら ば、他者を認識すると言う事その物が孤独の始まりだからだ。
本当の意味で他者が他者である、という認識に至るのは意外と困難だと言う事 に人は気づかない。
他者とは自分と違うと言う事であり、自分とは相入れ無い存在である、と言う 事だ。
それが孤独で無くしていったいなんだと言うのだろう。
人は絶対に自分の言っている事を理解しているわけではない、と言う認識は常 に持たなければならない。
どれほどに、理解が進んでいるかのように見えても、それは本当に理解がある わけではない。
そこに在るのは、自分の利益に利用できそうかどうか、と言う事以外にはない のである。
理解できると言う事は、自分の範囲内にかろうじて収まる気がする、という感 じがするにすぎない。
最後までいかに誤解ではないと感じさせつつけるか、それは広報能力の問題に 過ぎないのではないか、
広報は重要だ。どんなに確定していない事でも、広報しておかなければならな い。
自分が何を考えているかは表明しておかなければならない。
簡単ではない。他人、という存在を信じる必要があるからだ。
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