< 2005年08月 >
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次の選挙

http://www.wafu.ne.jp/gori/diary3/200508091144.html

もし、少しでも日本の事を考えるなら自民党に投票すべきです。

国の借金ってどうしてマズいの?

も参照しておくと良い。

7割まで考えたら実践する

うだうだ考えるより実践した方が早い。しかし準備無しでいきなり実践は無理。

ある程度まで考えたらあとは実践するのみ。実践しないと分らない事が多すぎる。

しかし全てを実践するわけにもいかないのは理解している。どのようにシミュ レーションをするか、というのも重要。

これも日常から構築すべきであると思う。

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Googleの使い方

どうやって教えるべきか。

普通に日本語の基礎を教えないとだめかな。

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「伝達」の本質

別に自分の事がわかってほしいわけではない。はっきり言えば自分なんて理解 される必要すらあまり感じていない。

自分がどんな人間なのかを本当の意味で理解してもらえるとは思えないし、そ もそもそれほど単純な性格ではない。

それよりも他人に伝達したい事は、この世に必ず先人がいる、と言うただ一事 にすぎないのだと思う。

伝え続ければ自ら先人がいる事に気づくはずです。どんなに先人の名前を連呼 して、讃えた所で心に響く事はない。

であれば自ら気づくようにするのが重要だと思うのです。

自分で気づき自分で学んだ事は必ず尊重するはずだと思います。

気づきを「伝達」したい。それが最大の望みです。

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昨日日記アップ間違えました

一日ずれた。すみません。戻しました。

チケット入手完了

チケット手に入れたよ。あとは当日行けるかどうかだけ。

いまの所期待に応えられるかは不明。

「絶対」に拘っているのでなく「伝達」に拘っている

自分の決定をどうやって人に伝えるのか、それを考えている所です。

自分一人であればその決定は絶対の物です。人に何事も言わせないほど明確で 確固とした決定。

しかしそれを人に説明しきれないのはやはり能力の不足なのか。

能力ではなくすでにどうやっても伝達できない領域なのか。

自分にはそれが良くわかっていない。

自分が物事を決定するときはあらゆる方面の知識を集約して決定している。

その知識なしでは同じ決断にいたらなそうな気がするが、そうでも無いのかもしれない。

いったい何が人に伝える時に重要なのかと言えば、「絶対」の部分だと思う。

自分にとっての「絶対」の部分をどう伝えるか。もしかしたら「絶対」を伝え るには「絶対」で無いようにすれば良いのかもしれない。

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「伝説」の創り方

伝説には何が必要なのか。

いくつかの要素が必要だ。単純さ、複雑さ。浅薄さ、深遠さ。醜さ、美しさ。 そういった相反する物すべてが必要だ。

伝説として最も解析しやすいのが神話である。神話は構造その物は非常に単純 だ。神がいて、この世の成立に関連する。しかしその構造は非道く複雑にから みあっている。

この神話の構造は、一人で作成されたわけではないからこそ成立する物なのだ ろう。

一人では作成できない多面な構造。一人一人は単純な物語を構成するにもかか わらず、それが複数に合さる事で複雑さを構成する。

伝説とは一人では構築できない。そこには複数の人間が関係しなければならな い。

どのように多数の人間により一つの伝説を創れば良いのか。そこには何か絶対 的な根源があるのだろう。

伝説を創るにも「絶対」が必要だと言う事か。

どこから「絶対」が産まれるのか。良くわからない。もうすこし考えたい。

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「絶対」の創り方

歴史を創るのが望ましい。歴史というのは伝説とも言いかえられるかもしれない。

人は歴史の共有により絶対性を認識する。

宗教には神話が付き物です。神話とは神の伝説です。

神話は人により作成されます。絶対視される物には伝説が必要なのです。

伝説を簡単に創るには伝説があらかじめある場所で何か行事を行なえば良い。 比較的簡単に伝説を作成する事ができる。

しかし、それだけだと本当の「絶対」を作成する事はできない。

「絶対」は自らの力で伝説を創造した時に始めて生れる物なのだ。

今後伝説の創り方を考えてみたい。

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「絶対」という位置が必要

相対ではだめな場合もある。「絶対」を決定する意思が必要だ。

どうせ決めなければいけない。決めるのは相対や客観ではない。絶対的で、主 観的にしか決定などできない。

そしてそういった決定しか意味を持たないし、成功しない。

相対や客観を持とうとした瞬間物事は失敗する。

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会話には溜めが必要

会話には溜めが必要だと思う事が度々あるが、いつも注意しているわけではな いのですぐに忘れてしまう。

思考の速度の方が早く、会話に焦りが出てしまう。

相手に理解させるのはとてつもなく負荷が高いと思う。

どんなに言葉を積み重ねてても誤解が生れるし、伝わらない。

本質だけ言えば良いのに、本質が人により異なる。

他人はどこまでいっても他人。これを本当に気をつけないといけない。

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暑い夏

今年はまた暑い。

年々暑さが体に応えるようになってきた気がするのだが、、、歳か。

あまり気にしない事にしよう。

しかし熱中症とかはかなり気をつけないといけなそう。

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成功の定義

わたしにとっての製品の成功の定義は、その製品を作成した人物の名前を知ら ない人の方が多くなった瞬間をもって成功とする。

なぜなら人でなく製品によってその製品が評価されたと言う事だからだ。

製品は製品その物によって立たなければならない。

人によって立ってはならないのである。

人は名誉を求めるならば、人によって立つ物を作成すれば良い。

製品は消えるが、人の言行録は残るだろう。

それは人の成功であって製品の成功ではない。

わたしは本質的に自分の成功はまったく望んではいない。

しかし自分の作成した製品の成功は強く望んでいる。

製品が広がるためならば自分の名前が無視される事などどうと言う事はない。

利益など2の次である。

しかしこれはわたしの主義であり、他人の名誉は尊重すべきである事は十分知っ ている。

そこは注意していこうと思う。

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