< 2004年10月 >
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世界は奇跡で出来ている

字面でなく、こういう事を覚えるのはかなりむずかしい。

世界の奇跡に驚いて泣くという事があるだろうか。

世界は奇跡の上にあるが、その奇跡をちゃんと亨受できていないのが現実だろ う。奇跡をしっかりと亨受すれば、必要な事は十分にできるのに。

ただ、亨受するには奇跡に対する知識が必要だし、経験も必要になってくる。 当然教育も必要になってくる。ほとんどの人はそれが奇跡だとさえ気づいてい ない場合が多いのだし。

世界の奇跡の一部を亨受しようとしているのがオープンソース活動だろう。そ の一部は成功している。奇跡を亨受する仕組みを作成したプロジェクトが成功 しているとぼくは見ている。

奇跡を拒否しはじめた時、そのプロジェクトは終焉を迎える事もある。奇跡を 信じる事だ。その奇跡は世界を成立させている奇跡なのだから。

奇跡を亨受するには勇気が必要

勇気。それはあまりに重い言葉です。

勇気によって価値が決まる物は多いのですが、その事に気づかれている気配が ありません。その価値は勇気の量によって決まっているのに。

奇跡は常に起きています。そしてそれを亨受するには勇気しか必要ではありま せん。奇跡を信じる勇気。それが奇跡であると信じる勇気。奇跡だと言ってし まう勇気。

あたりまえの事があたりまえである事。奇跡とはそういう物です。奇跡は受け とる側の態度によって奇跡となります。そして、それが奇跡であると分った時、 本当にそれを亨受するにはいかに勇気が必要かがわかるのです。

重いです。

言葉って不便

しかし言葉でしかできない事もある。

書いてある事を読まれる事なんで微塵も考えてない。自分しか意味わからなく て十分。他人に理解される可能性をほとんど信じていない。

でも、ちゃんと自分が自分として意味を理解している事を確認するために言葉 にする。より正確な言葉にしようとする。言葉を徹底する。自分が本当に理解 している事を確認するために。

Author: sakito Category: /diary/2004 Permalink: Permalink
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