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道具としてのプログラミング言語

プログラミング言語というのはただの道具にすぎない、というのは常識だと思っ ているのだが、どうもそう思っていない人も世の中にいるようだ。

そうえば数学の公式もただの道具なのだが、それを理解していない人がかなり の人数いる事に疑問を感じる。

すべては目的を速やかに達成するためにしか存在しないのに。

本当の目的が明確にないから、道具が目的化してしまうのではないだろうか?

最も目指すべきは目的を持つ事であって、道具を知る事ではないのではないだ ろうか。

ではどう目的を持てば良いのは。一番簡単なのは自分がいままでやって来た事 を知る事なのではないか。

何を自分がやったのか。それを知る事なのではないだろうか。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
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