< 2006年06月 >
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人と同じと信じるよりも、人と違うと信じた方が良いのか

自分が人と同じであるとか、変っていないと信じる事は良い事なのだろうか? それとも、人と違う、、変っていると信じる事が良い事なのだろうか?

どっちがどう良いと言える物ではないとは思うが、より増しな方はどっちだろう。

それともそもそもこの二択に誤りがあるのだろうか?

本当に優秀な人間はどう考えているのか、それが疑問なのだ。

本人に自覚があるのかさえも不明なため、うまく言語化できるとは思えない。

また本当に優秀な人間を選択しているのは社会なので、そういった選択項目が いったい何に基づいているのか本当に自覚的なのだろうか?

自覚的だとしたら、きっとその選択の項目があるであり、単にわたしがその項 目を知らないと言う事だ。

知らないと言う事がわたしの優秀でなさを物語っていると言う事になるわけだ。

何かが選択されている。知っているか、知っていないか、単にその差のような気がしてならない。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
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