考える事こそ人間の証
いままで自分が考えていると思っていた事は本当は考えているわけではなかった。
考える方法、考えかたの方法を知らなかった。自分で気づく人もいるだろ うが、ぼくは自分では気づけなかった。だからぼくは失敗をしているのだろう。
考えるとはどういう事か、自分の頭で物を考えるとはいったいどういった事か。 それはとても重要な事なのに、教えてくれる人がとても少ない。
自分で気づけ、というかもしれないが、気づけない人間の方が多いのではないだろうか。
少なくともぼくは気づかなかった。気づくという事その物がすでに考えている、 という事であり、考える事を知っている人しか気づけないのではないかとさえ思う。
考える方法、それはとても重要だ。たとえ一部がぼくにはかなり困難な事を含 むとしても、方法を知っているのと知らないのではまったく違うのだから。
コミュニケーションとは何か
それは「考える」という事だったのだ。
ぼくがコミュニケーション不全なのは考える力が不足している、という事だ。 これは訓練する以外にはない。
人間にはそもそも考える力がある。方法を知らないだけなのだ。
ぼくは考える方法を初めて知った。その中には自分には相当困難な事柄が含ま れている。その困難な部分が、自分の障害の部分なのだが、訓練により増しに はなる。
ぼくは知らない事が多すぎる。本当に知らない事が多すぎる。
どうやって知らない、という事を知ればいいのだろうか。それも考えるしかないのかもしれない。
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