< 2006年10月 >
CW
(39) 1 2 3 4 5 6 7
(40) 8 91011121314
(41)15161718192021
(42)22232425262728
(43)293031    
他のブログ等: 「技術的生存報告記」 「sakito@twitter」 「はてなダイアリー」 「はてな Emacs グループ」

書く事あっても書く時間がない

どんどん時間がつまっている気がする。というか根源は体力がないのが原因ですね。。。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

家につくと安心してしまう

そのまま死んでしまったらどうしよう。とにかく祈ろう。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

すくわれる必要があるのか

自分が壊れそうな事ってはかなり強く自覚する物です。それは自分にしかわか らない危機です。そとからはどうやってもわからない。

でもそれはただの弱さでもあるのは事実。

そう簡単に壊れるわけはない。

しかし危機は危機なのだからどうしようもない。人によって受ける衝撃が違う という事実は認めないとならない。

どちらにしても終りはどのような形であったとしてもいつかは来るものです。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

死さえも救いにならない

人にはそういう時もある。死が決っして救いにならない立場であったり、親が いたり。それが罪だとわかる。

死そのものが罰。どうやって逃げれば良いのか。逃げる事さえも罪なのだから。

生も死も救いの場がないなら、それはどうしようもない。そして救いをなんら かの祈りに託すか狂ってしまうか、選択肢は限られる。

おそらくそういう事は他者に理解される事はない。

それが他者が決して真の意味で宗教を理解できない理由。

選択肢があまりない。ただ祈りをささげ、狂っていくのを静かに見守るのみ。 それはまるで他人のように。

だからといってあきらめる事は罪。そこに何も救いはない。

あああ、まだ生きなければならない。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

なんか外から異臭がする、、、

大丈夫かな恐いな。。。

どうもぼくは臭い恐怖症ぎみな所がある。神経質というか。

非常に臭いに敏感だからかもしれない。

ほんのちょっとの臭いにも嫌悪感を感じる傾向にあるので。。

でも今日の異臭はちょっと問題かも。どうもなんか薬品で掃除したらしい。。 その匂いだろうけど刺激臭でやだな。。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

古典ておもしろいね

長靴をはいた猫

を読んだけど、かなりおもしろい内容。翻訳が渋澤 龍彦だからかな。

ペローの童話集ってのはちょっと古い感じですけどね。

古典作品というのは読むたびに発見がある。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

北朝鮮が地下核実験実施と発表

発表段階なので、まだ疑わしいけれど、本当に実施されたならかなりの脅威です。

で新聞雑誌各誌で報道の仕方がちがいますね。。

地下核実験「実施」と表現している所と地下核実験「成功」と表現している所 があって、それは事前からの立場とほぼ一致しているような印象です。。

こういう時に報道各社の立場ってのが如実に表現されるのですね。。

さて、どうなるでしょうか。。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

すべては訓練

訓練だ。本当に訓練だけだ。

訓練に必要な課題が必要。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

書く事ない時は書く必要ないのに書こうと努力する

良い事なのかどうか不明だけどね。

基本的に日記を自分の内部だけ、それもプライベートな記述を一切含まずに、 自分が思考した事のみで記述しようっていう努力があるから、結構無理はある んですけどね。

なんで外部参照しないかって言えば、結局は斯の日記が特定人物に生存の報告 をするためだけに開始されたってその出自によるのでしょう。

その人物を想定すると、どうしてもこういう記述しかできない。

結構複雑です。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

自分だけでは無限ではない

日記において外部を参照せず、自分の内部の事象だけを記述しようとするとい ずれ無理が生じる。それは人間は自分と言う物の大きさがたいして無いからだ。

常に人は外部との関係においてその存在と思想を保持している。

外部なくして、自分の思想は無いに等しい。

よって自分の思想を本当に知りたければニュースに対して何でも良いから意見 を書けば良い。意見を書いている内に自分がいったいどういう事を考えている のか自分でわかるようになるはずだ。

書かなければ自分の思想などわからない。。

外部とのからみが必要、というがきっと辛い所なのかもしれない。。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
このエントリーをはてなブックマークする はてなブックマーク数 このエントリーをdel.icio.usに登録する このエントリーを Tumblr する このエントリーに Twitter 経由でコメントする このエントリーに Disqus 経由でコメントする

このページの先頭へ

copyright (CC-by) 1999-2024 sakito
Powered by pyblosxom. Theme: TheBuckmaker.