< 2006年10月 >
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死さえも救いにならない

人にはそういう時もある。死が決っして救いにならない立場であったり、親が いたり。それが罪だとわかる。

死そのものが罰。どうやって逃げれば良いのか。逃げる事さえも罪なのだから。

生も死も救いの場がないなら、それはどうしようもない。そして救いをなんら かの祈りに託すか狂ってしまうか、選択肢は限られる。

おそらくそういう事は他者に理解される事はない。

それが他者が決して真の意味で宗教を理解できない理由。

選択肢があまりない。ただ祈りをささげ、狂っていくのを静かに見守るのみ。 それはまるで他人のように。

だからといってあきらめる事は罪。そこに何も救いはない。

あああ、まだ生きなければならない。

Author: sakito Category: /diary/2006 Permalink: Permalink
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