概要
ウィトゲンシュタイン(Lugwig Wittgenstein)
天才、変人、奇人、同性愛者、反哲学、自己否定的、4分の3ユダヤ人、様々な面から様々に評価される。その哲学は、浅薄に読むとまるで自己を否定しているようにも見える。しかし否定や肯定という物を越えた所を記述している。同じ問題を問題としない人には理解はかなり困難。
その哲学の内容は複雑ですが、問題としている点は生涯一貫しているように見えます。何を問題としているのかを正確に認識するのが理解の早道です。
ラッセルの弟子と見てもさしつかえないでしょう。フレーゲからの影響は大。他にもフロイトやその他の影響が見えます。
彼の見つけた問題は、同じ問題を共有した人にしか意味がないかもしれません。ぼくは、その問題と同じ問題をもっていると感じました。当然、まだその問題をいかに解明しようとしていたかの部分は完全に理解していないのですが。。
言葉
ぼくが好きなウィトゲンシュタインの言葉を引用しておきます。あと勝手な解釈もかいときます。書いとくけど、他者に理解される事を目的としてません。
- 「歴史が私にどんな関係があろう。私の世界こそが最初にして唯一の世界なのだ」(草稿)
- 実質歴史の否定
- 「思想の代金は何によって支払われるのか。勇気によって、と私は思っている」(反哲学的断章)
回答の内容を気にしていないし、また歴史上の位置付けもおもいっきり否定。構造主義みたいな交換による価値の発生概念も否定してます。
- 「私の言うことを理解できないのでなければならない、ということである。他人は「私が本当に言わんとすること」を理解できてはならない、という点が本質的なのである」(青本)
- これは完全に既存の哲学の否定です。他者に理解させるための物が哲学ではないし、哲学は他者と共有できない。思考した事実は思考した本人以外には伝える事ができない。
- 「哲学においては、問いに答えるかわりに問いを立てる事が、常に適切である」(数学の基礎)
- 思考の徹底。回答が哲学でない事を示していると言えますが、回答は適切でなくなる、という文章がこの後に続きます。
入門書
ウィトゲンシュタイン入門:永井均
ウィトゲンシュタイン:グレーリング
永井均の書籍は哲学入門という側面がありますが、ウィトゲンシュタインについて十分に説明されている。これでウィトゲンシュタインの問題が理解できない場合は、理解する必要のない人なのかもしれません。
グレーリングは読みやすいです。ただし内容に独特の部分もありますので、本当の入門って感じではないかもしれません。
入門書としては、哲学という物の初学者であれば永井均の書籍を読んでみてください。
論理哲学論考:とりあえずこれから読むと良いでしょう。
人物
いくつか伝記が出版されています。人となりを知るには良いかもしれませんが、哲学者として書かれた伝記には質の悪い物もあるようですので御注意を。
ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出:伝記としてはかなりすばらしい。
ウィトゲンシュタイン―天才の責務 1:ウィトゲンシュタイン伝記の決定版として見られている向きもある書籍。
ウィトゲンシュタイン評伝―若き日のルートヴィヒ1889―1921
関連書籍
『哲学的探求』読解:全集の8巻は翻訳に問題があるので、哲学的探求をまっとうに読みたいならこの書籍で。
ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951
ウィトゲンシュタインのパラドックス―規則・私的言語・他人の心:クリプキ。一般にクリプキのウィトゲンシュタイン解釈には誤りがあるされれいる。だた解釈の仕方としてかなり価値がある。クリプキの解釈はかなりちゃんとしていると見える。
著作
全集
大修館書店 の全集があります。いきなり全集はとっつきにくいと思います。結局は全集読まないとらちあきませんが。
読む順番としては、3巻の中期の文法、6巻の中期から後期と読み、あとは後期を読み初期にもどり、再度中後期を読むのが良いと思います。
ただ、6巻の青本は文体上では最も読みやすい書籍なので青本から入門するのも一つの手だと思います。ただし語られる問題のレベルは非常に高いので文体で単純に読まないように注意すべきです。
ウィトゲンシュタイン全集 1:論理哲学論考、草稿 1914-1916、論理形式について
ウィトゲンシュタイン全集 2:哲学的考察
ウィトゲンシュタイン全集 3:哲学的文法-1 - 文、文の意味
ウィトゲンシュタイン全集 4:哲学的文法-2 - 論理学と数学について
ウィトゲンシュタイン全集 5:ウィトゲンシュタインとウィーン学団、倫理学講話
ウィトゲンシュタイン全集 6:青色本・茶色本、個人的経験および感覚与件について、フレーザー金枝篇への所見、『マインド』の編集者への書簡
ウィトゲンシュタイン全集 7:数学の基礎
ウイトゲンシュタイン全集 8:哲学探究
ウィトゲンシュタイン全集 9:確実性の問題・断片
ウィトゲンシュタイン全集 10:講義集
ウィトゲンシュタイン全集 補巻 1:心理学の哲学1
ウィトゲンシュタイン全集 補巻 2:心理学の哲学2
オンライン
著作権が切れているなどで電子的に公開されている物があります。
Tractatus Logico-Philosophicus
Tractatus Logico-Philosophicus by Ludwig Wittgenstein - Project Gutenberg
年表
関係ありそうな事柄を書いてみる。ウィトゲンシュタイン年表を参考にさせていただいている。
1889:ウィトゲンシュタイン誕生
1903:リンツの高等実科学校に入学
1909:ラッセルのパラドックスに関して手紙を書いている。却下されている。
1911:ケンブリッジのラッセルを初訪問。以後ラッセルから多くを学ぶ事になる
1913:父逝去
1914:(6月28日)オーストリア皇太子夫妻暗殺
1914:(7月28日)オーストリア・ハンガリー帝国、セルビア王国に宣戦布告(第一次世界大戦勃発)
1914:ムーアと交流開始
1916:ソシュール「一般言語学講義」出版
1918:ハプスブルク朝(正確にはハプスブルク・ロートリンゲン朝)崩壊(実質これが第一次世界大戦終結)
1918:論理哲学論考完成
1921:論理哲学論考雑誌掲載
1922:論理哲学論考英独対訳版出版
1928:直観主義の数学者ブラウアーの講演を聞く
1930:ヒルベルトプログラムと呼ばれるヒルベルトによる提案
1931:ゲーデルが不完全性定理発表
1934:青色本完成
1935:茶色本完成
1936:チューリングが「計算可能数についての決定問題への応用」の中でチューリングマシンの概念を提示。チューリングはウィトゲンシュタインの授業を受けている。弟子として認識される事もある。
1939:ナチス・ドイツのポーランド侵攻(実質これが第二次世界大戦勃発)
1945:(5月4日)ドイツは無条件降伏。(8月15日)日本降伏。(第二次世界大戦終結)
1950:バートランド・ラッセルノーベル文学賞受賞
1951:ウィトゲンシュタイン逝去
関連人物
関連してそうな人および、ほぼ同時代の人。
この時代、西欧中心的な思想が崩壊へと向いつつあった。また実質崩壊した時代と言える。第一次世界大戦、第二次世界大戦をへて、経済や文化の中心がアメリカにうつっていった時代でもあった。
ソシュール:1857 - 1913
バートランド・ラッセル:1872 - 1970
ジークムント・フロイト:1856 - 1939
ノイマン:1903 - 1957
チューリング:1912 - 1954
アルバート・アインシュタイン:1879 - 1955
1829年〜1835年あたりで複数の論文により非ユークリッド幾何学が成立した。
ぼくの理解
ぼくにとってはヘーゲル的な考え方をやめる切っ掛けになった。もともとヘーゲルに関しては疑問もあったのだけど、それが明確になった。
ぼくがウィトゲンシュタイをちゃんと勉強しようと思ったのは社会人になってから。最初はデカルト方法序説の再読にはじまり、デカルトに関する研究書を調査していたらウィトゲンシュタインの弟子による研究が多かったのが原因で興味をもったのだと思う。
かなり衝撃的でした。
前期から中期にかけてソシュール的、構造主義的思考が見られますが、中期から後期にかけて完全にそれを超克しています。構造主義を乗り越えてその先にいっているとわたしには感じられます。
家族的類似性、判断の一致といった思想とされれいるが、とにかくこれらの思想は構造主義がなしえなかった事に言及している(構造主義の方が後である事は認識している)。また分析哲学が認識できていない所を言及している。
実質ウィトゲンシュタインは最後の哲学者である。なぜなら哲学はウィトゲンシュタインの時代に終ったからである。構造主義は哲学ではなく、学問や研究の方法論である。
ウィトゲンシュタインにより既存の哲学は終了したのである。哲学の終了は、哲学の方法の終了である。哲学の方法論とは西欧の方法に他ならない。単に哲学の終了は西欧の方法の終了を意味するのみである。しかし、それは"真理"もしくは"世界"の終了ではない。こうして世界はあるべきすがたをあるがままに西欧人に示し初めたのだと思う。
メタ言語の否定、メタ論理、メタ倫理、メタ世界、メタ歴史、メタ思考、、、、等々の完全否定にいたった、と見る事ができる。これは哲学の存在否定としても見えます。ウィトゲンシュタインの哲学はその確立と共に自己の哲学が哲学として終焉する方向に向かっているようにも見える事があります。これは時代背景としてヨーロッパの時代の終了を示しているのかもしれません。
ウィトゲンシュタイン哲学の白眉は、自己救済としての思考、という点にあるのかもしれません。これによりあらゆる哲学を完全壊滅させてしまったのです。つまり既存の哲学は真理の追及でないわけです。自己がこう世界を見ている、っていう都合の良い自己救済でしかなかったわけですが、ウィトゲンシュタイン哲学では思考する行為その物を哲学にしてしまったわけです。結論は自己の物にすぎない。自己で思考する事そのものが哲学。よって結論が生きている時代、場所、といった物に影響されるのは当然。
これはウィトゲンシュタインの結論ではないでしょう。ただ思考その物、その人のみの思考がある事を認めるのがウィトゲンシュタインの哲学の真髄だというのがぼくの今の理解。
さらなる理解のためのメモ
前期から中期にかけてソシュールの影響のように見える文章がある。ソシュールの「一般言語学講義」を読んだか、もしくはそれを知るだれかに講義されたか話しを聞いたはずだ。そもそもフランス語読める人が周囲に結構いたのは確か。その明確な時期に興味がある。
ソシュールの言語学とは違う面が多い。ただメモ的な物でその点は一度通過しているような感じだ。現在すべての記述物がCDとして出ているのでそのあたりは解明されていくと思う
- 世界がこうである、と記述しているのではなく、世界がこうあるのであるから、こうでなければならないであろうという論
- 前期では問題へのアプローチにかなり落ちている点が認められるが、そうとう考えぬかれていて、すごすぎる
- 後期に行くほど問題が明確になっているため、問題その物を理解するなら後期の書物の方がわかりやすい
- だたし後期に行くほど問題へのアプローチが複雑になっているため、その全面を完全に理解する事は困難化する
ウィトゲンシュタインの問題とゲーデルが意図していたかは不明だが不完全性定理で示された物がかなり一致していると感じる。それはあたかも光があたると陰がくっきりと見えるかのようです。
- ラッセルを知る事はウィトゲンシュタインの問題がどこからはじまったのかを知る手がかりになるかもしれません。
- 同性愛者であった事は哲学に影響を与えたのか。またユダヤ人であった事や、裕福な家庭にうまれた事で影響がなかったとは思えない
- ハプスブルク朝崩壊は影響がなかったのかは疑問
- 1903年14歳の時リンツの高等学校に入学しているが、語用(単語の用い方)関係のトラブルがあった模様。通常家庭環境が異なる人が多数いた学校だからか。いずれにしても社会性のなさは見える。
- 第一次世界大戦に出兵した時も出身階級の違う兵たちと共にいる事の困難さが見える。
- 出身階級が違う人たちと共にいる場合、自己の独自性を強く確立する人と、劣等感に近い物を感じる人などなんらかの影響はまぬがれえない。ウィトゲンシュタインもここからの影響がある物と思う
- ウィトゲンシュタインは自分の思考が哲学と呼ばれる事をどう考えていたのだろうか。